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2019/09/09

議員宿舎で我が子の洋服やおもちゃを自慢し合うセレブ妻

 衆議院にも「代議士の妻」から転身した女性がいる。その1人、立憲民主党の衆院議員・石川香織(35・当選1回)も、元議員の夫より幅広く支持を集めている。

石川香織衆院議員 ©共同通信社

 17年の衆院選では、農相や財務相を歴任した故中川昭一の妻、郁子(60・同2回)との“妻対決”を制した。野党に逆風が吹く中、12年の選挙で同じ相手に敗れた夫・石川知裕(46・同3回)の得票を2万8000も上回ったのだ。

 地元の首長や農協幹部から「香織ちゃん」と呼ばれてきた石川は、農政一筋の夫と比べ、福祉や教育にも話題を広げ、夫が築いた後援会の基礎票の上に、女性の支持を新たに積んだ。

 彼女は元民放アナウンサーで、2児の母でもある。

「議員宿舎の最上階には、子どもを遊ばせられるスペースがあるんですよ。セレブ風の奥様たちがいつも我が子の洋服やおもちゃを自慢し合っている。それに比べれば、うちの夫は修羅場ばかりくぐってきて、私も結婚以来、夫の地元でいつも長靴履いて地べたを這うように選挙区を回ってきたので、『東京に住めて、羨ましいですね』と言いたくなる時もあります」

 自民党「魔の3回生」の妻たちを羨望の眼差しで見てきた彼女が、突然の出馬を決心したのは、陸山会事件で有罪になった夫の公民権停止期間が10数日残り、立候補が許されなかったため。永田町でも異色の「助っ人リリーフ型」の妻なのだ。

「オレの辛さがわかるか」

 11年9月、石川は現職議員だった夫が一審で有罪判決を受けた翌日に婚約し、職場では報道番組の司会を降板した。小沢一郎秘書時代の罪を引き受けてからも恨み言を一切口にしない夫に添い遂げることを誓い、生まれ故郷の東京から北海道に引っ越した。

 13年に高裁で再び有罪判決が出ると、夫は議員辞職。14年の衆院選でも「妻」擁立論が噴き出したが、石川は固辞した。だが、3年後に解散風が吹いた瞬間、誰に言われるまでもなく、「今回、夫が出られなければ私なんだろう」と察したという。

一昨年の衆院選に勝ち万歳する石川夫妻と肩車される第2子の長女 ©共同通信社

 夫のリリーフになることに迷いがなかったわけではない。初当選から2カ月後、熾烈な夫婦喧嘩が勃発した。

「年末の会合をハシゴしている最中、あまりに回る件数が多くて、どういう趣旨の会かわからない時、夫に聞くと適当に答えるんです。腹が立って怒ったら、『お前にオレの辛さがわかるか』と言われてしまい、『私の方が辛いよ』と返したら、しばらく言い合いが止まらなくなりました」

 石川は、さらに続ける。

「夫は自分が復活するために必死に選挙の準備をしていたので、バッジを付けた私を正直面白くなかったと思いますよ。私も私で新しい仕事に、子育てもあって、いっぱい、いっぱい。お互い我慢する中、ぶつかるべくしてぶつかりました」

女性議員を、普通の女子がなりたい職業に変えたい

 だが、それからも献身的に自分の“分身”をこなす「代議士の夫」にほだされ、数日後には仲直り。夫が小沢一郎と鈴木宗男という2人の寝業師に仕えて会得した政治の知恵は今、すべて石川の活動に注がれている。

 7月の参院選では、政見放送で「立憲民主党の顔」を担わされた。党代表の枝野幸男の隣に座り、三原じゅん子が安倍と並んだ自民党の向こうを張った。

 政界の注目株になりつつある石川はこうも言う。

「女性議員って、数が少ない割にキャラが強烈な人ばかりに見える。もっと普通の女子がなりたいと思えるような職業に変えたい」

 思いがけず国会議員になった代議士の妻たちは今、新たな政治家像を模索している。(文中敬称略)

とこい・けんいち/1979年、茨城県生まれ。大学卒業後、朝日新聞出版に入社し、「AERA」編集部で政界取材を担当。2012年末からフリー。2017年、第23回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞(作品賞)。著書に『小泉純一郎独白』、『保守の肖像』など。

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出典元

進次郎が捨てた「女子アナ彼女」

2019年8月29日号

2019年8月21日 発売

定価440円(税込)