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 手紙でも便箋6枚にびっしりと、A氏への謝罪が綴られていた。

手当てを受けるA氏。床には血痕が ©文藝春秋

《どうしてもこういう場所で1日中誰とも口をきかずにおりますと、ちゃんと伝えるべきことを伝えられなくなるというか、うつうつとしてしまうもので。

 うまくしゃべれなくなってしまうのです。

 そして、今までは自分に対するショックの方が大きかったというのもあり、きちんとA氏への謝罪がうまく表現できていなかったかもしれません。

 ここを出られたら改めまして是非、A氏への謝罪を言葉で表現させて下さいませ。

(中略)

 本当にA氏には申し訳ないことをしたと、……謝罪と反省の気持ちでいっぱいであり、それが何よりも一番重要なのは私の気持ちなのです。

「A氏には本当に申し訳ないことをしました。深く反省して謝罪の意でいっぱいでございます」》(9月4日消印の手紙より。岩本も公開に同意)

A氏への謝罪の言葉 ©文藝春秋

 勾留生活は過酷のようだ。クーラーのないサウナのような3畳ほどの部屋で、24時間のほとんどをひとりで過ごしている。現在は「鬱のような状態で、差し入れしていただいた本を手に取ることができません」(岩本)というほどに追い詰められているという。

 そんな状況下で事件について反芻するなか、自分の罪の重さに向き合い始めたようだ。自分がなぜこんな事件を起こしてしまったのか、岩本は時間を遡って“理由探し”をしていた。

岩本容疑者のファースト写真集「神秘」(光文社)。ドバイで撮影された

「私は男性とお付き合いした経験が少なかったため、年のわりに騙されやすかったということが言えるかもしれません。お付き合いしたことがあるのは、A氏を除くと3人です。最初に交際したのは、大学生のとき。7、8年付き合いました。

 3人目は美魔女コンテストに応募するきっかけになった14歳年下の外国人の大学生です。いつもお腹を空かせていたので、同棲してご飯を作ったりパソコンを買ってあげたりして大学を卒業して母国へ帰るまで面倒を見ていました。

 自分が人に尽くすタイプで、男性への依存度が高い女であることは自覚しています。そして実は……2人目の人とは結婚していました」

 それは岩本が28歳、美魔女モデルとして世に出る前の、まだOLだった頃のことだという。