昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

【特別全文公開 #1】西川廣人さんに日産社長の資格はない――グレッグ・ケリー前代表取締役世界初告白

 日産・西川廣人社長が自身の不正報酬問題を理由に、今月16日付で辞任することを発表した。この疑惑が初めて明らかになったのは、「文藝春秋」7月号に掲載されたグレッグ・ケリー前代表取締役への3時間に及ぶインタビュー記事においてだった。そこで、彼は一体何を語っていたのか。日産問題の核心を広く世に問うため、24時間限定で同記事の全文を公開する。

(本記事は全4本の1本目です)

◆◆◆

 グレッグ・ケリー氏(62)は昨年11月、カルロス・ゴーン前会長(65)の約90億円分の報酬を隠した有価証券報告書の虚偽記載に関わった容疑で東京地検特捜部に逮捕された。

 昨年12月に保釈されて以来、頸椎の治療を受けながら裁判の準備を進めていたが、今回は弁護士が同席する形で、逮捕後初のインタビューに応じた。公開されている写真よりいくぶん痩せた印象を受けたものの、3時間にわたって自身の容疑や西川(さいかわ)廣人社長(65)の関与について語った。

 大手弁護士事務所を経て、北米日産に入社したのは1988年。日産自動車での勤務は30年に及ぶ。法務、人事畑を歩み、ゴーン氏直属のCEOオフィスのヘッドを経て、代表取締役に就任。逮捕時は、ゴーン氏、西川社長に続く日産のナンバー3だった。

◆◆◆

©文藝春秋

ゴーン氏と西川さんと私

ケリー 質問に答える前に、まずは私の経歴からお話したいと思いますが、いいですか。

――ええ、もちろんです。お願いします。

ケリー 私が日産に入社したのは1988年に、あるリクルーターから誘いを受けたのがきっかけでした。「テネシー州に非常に面白い日本の会社がある。ケリーさんに向いているのではないか」と言われ、紹介されたのが北米日産でした。そこでお目にかかった従業員の皆さんの仕事に対する熱心さ、日産に対する献身的な姿勢と忠誠心に心打たれましたし、製造業で世界トップの日本企業でありながら、アメリカの真ん中のテネシー州で働けることは非常にいい機会だと思って入社することにしたのです。

 最初は法務部に配属されましたが、1992年3月から翌年8月までの18カ月間、日本でマネジメントトレーニングを受けました。この経験は私にとって素晴らしいものでした。当時35歳だったのですが、私は出身地のシカゴからテネシー州に引っ越したことがあるだけで、海外に行くのは初めてだったのです。日本でのトレーニングを終えてテネシーに戻ると、人事部門の責任者に昇格しました。

 ゴーン氏のことを初めて知ったのは1999年、彼が日産のグローバルビジネスを視察するために北米を訪れたときです。ちょうどルノーが日産の株式約37%を取得して傘下に収め、ゴーン氏が日産のCOO(最高執行責任者)に就任した時期でした。ただし、個人的に知り合いになったのではなく、彼の存在を知ったということです。

 ともに働くことになったのは、私が北米日産の副社長に就任した2005年でした。そのときゴーン氏は北米日産の社長も務めていたので、初めて2人きりで話をし、「北米における人事は任せる」と言われました。 

 2007年になると、西川さんがゴーン氏の後を継いで北米日産の社長に就任しました。ここで直属の上司と部下になって以来、私と西川さんはビジネス上でかなり近しい関係を続けていくことになります。

 翌年4月になるとゴーン氏と西川さんに引っ張られる形で日本に異動しました。CEOオフィスのヘッドに就任し、その翌年には人事担当の役員も兼任することになりました。