コンピューターを駆使した斬新なサウンドで世界を沸かせて40年。YMOを追い続けた写真家・三浦憲治氏の作品集『40 ymo 1979-2019』が8月26日に発売された。同書からスペシャルカットを特別公開し、彼らをよく知る人物の言葉と共に輝き続ける3人の足跡を辿った。
(取材・文=吉村栄一)
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YMOが結成されたばかりの頃、細野さんに会ったら「いまはピコピコのゲーム音楽みたいなものをやってる」って。当時、海外でテクノが盛り上がってきてたし、ああ、最先端を行っているなと思いました。
あるとき誘われて武道館コンサートに行ったら、でっかくYMOと書かれた大型トラックの楽器車が横付けされていた。いいな、はっぴいえんどの頃は楽器車なんてなくて、みんな楽器を手持ちで全国に出かけていったよな、ぼくもスネアとタムだけ抱えて移動してたよな、という感慨も覚えました(笑)。
そうして人気者になっていく細野さんを横目で見ながら、ぼくの作詞と細野さんの作曲のコンビを復活させたいと画策していました。はっぴいえんど以来のね。そこに来たのがイモ欽トリオの『ハイスクール・ララバイ』。パロディでまず一緒にやってみようと。それがミリオン・セラーになって、細野さんとのコンビで松田聖子の代表曲などを一緒に作るようになりました。













