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連載昭和の35大事件

「押し入れの中で骨を鋸で挽き……」残虐すぎる解体殺人を後押しした“背筋が凍る舌打ち”

「この足が母を蹴ったのだッ。そして妹の子を殺したのだ」

2019/10/20

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア

note

向島のおはぐろどぶにハトロン紙につつまれて浮んでいたバラバラの男の死体!! 満都が昻奮した事件を当時の毎日社会部記者が描く。

初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「玉の井・バラバラ事件」(解説を読む)

「おはぐろどぶ」からバラバラ死体

 昭和7年の春まだ浅い3月7日朝の9時半頃、東京向島寺島町879番地川名洪方横手の環状線道路脇の俗に「おはぐろどぶ」とよばれている下水の中に、白地の浴衣で包み麻の細紐をくるくる巻きに縛ったひと包が、ぽっかり浮いているのを通りかかった近所の呉服屋広島倉治さんが見つけて長浦交番に届出た。

 下水から取上げて包装を解くと、中から男の胴体の上の部分だけがハトロン紙に包んであった。つづいて、十二間直路をへだてた西側のおはぐろどぶから、生々しい首と胴体の下の部分、両腕などが同じようにハトロン紙に包み、更に白地浴衣で外側を包んだものが浮き上った。

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 推定するとこの死体は全身を8つに切断されている。年齢は20歳から23歳位、或は、もう少し年をとっているらしい。素裸にした上、鋭利な刃物で首、両手、両脇、胴の上下と云った風に根元から切り落して、これを別別のハトロン紙に包んだ上、白地浴衣に包み、細引をかけて、発見された場所まで運んできて、一つずつ順々に溝の中に捨てたものと一応考えられるのであった、なにしろ、この現場は環状線の大通りで玉の井の銘酒屋(当時の赤線地帯)にほど近く賑かな所である。桜(はな)にはまだちょっと早いがポカポカ暖かく、噂を聞いて野次馬が東西南北から集ってきて「なんだ、なんだ!」の大騒ぎ、忽ち黒山の人垣となった。寺島署から駈けつけた十数人の巡査が非常線を張り交通遮断をする騒ぎとなった。

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 型のように、警視庁から土屋捜査課長(この人は退官後に三越百貨店に勤めた)田多羅係長(退官後区長になった)吉川鑑識課長、浦川寺島署長、検察側からは枇杷田検事、内山予審判事の面々が自動車で駈けつけて、現場検証をして、捜査会議と手順通りに運んだことはいうまでもない。

 死体のあったおはぐろどぶは、幅6尺深さ3尺で犯人は最初暗渠へ投げこむつもりであったのが、手もとが狂って溝に落したものと思われた。被害者は肉付も営養もいい方で、ヒゲは剃って2日目位、解剖の結果は、最初外見した時よりも年をとっていて30歳前後、死後1週間を経過している。軽い肋膜を病んだ痕跡が残っている。身体を切り落すとき骨は鋸でひいたものと断定された。死後1週間と云う点から犯行は月初めと推定されるのであった。また、鼻腔、口などには蒲団の古綿が詰めてあり、胴体を結えた帯芯のような紐には、女の髪の毛らしい毛が6本くっついていた。その毛を仔細に鑑定すると、うち4本は死毛(抜毛)で2本が生きている人物の毛で中に猫の毛もまじっていた。また、鰯の鱗も発見された。