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好きな言葉は「武士道」「覚悟」

 高校卒業後、東海大学に進んだリーチは、のちに大学の同級生だった妻・知美(さとみ)さんと12年に結婚。

「大学を卒業した頃、遊びに来た知美ちゃんからレシピを聞かれたメニューが『三色弁当』です。豚ひき肉とピーマンを甘辛く炒めたものといり卵、それを三色に盛り付けるのが上の3人の息子たちの時からの定番メニューだったんですが、マイケルも気に入ってくれたみたいで」(久美子さん)

 留学当初は、部屋の天井にひらがな表をはって日本語の習得に励んだリーチ。今では漢字検定の資格も保持しているという。

東海大時代のリーチ

「知美ちゃんが気を使って全部ひらがなでメールを送ったら、『俺は漢字もわかる』とばかりに漢字を使った文章で返信があったとか。負けず嫌いの努力家でね。ただ、数学は苦手だったようで、『日本の数学はちんぷんかんぷん』とボヤいていました(笑)」(同前)

「マイケルは森山家の四男」と話す夫婦のもとに、リーチは今でも休暇があれば家族で訪れ、いつも「ただいま」と挨拶するという。

 大学卒業後はトップリーグの東芝でプレー。日本代表には08年から選ばれ、14年4月には主将に抜擢された。スポーツライターの大友信彦氏が解説する。

「外国出身の自分が日本代表の主将を務めることに人一倍責任感を持っていて、ほかの外国出身の代表選手たちにも積極的に日本の文化を伝えています。『武士道』や『覚悟』といった言葉を好んでいますね。

 ひとたびグラウンドに立てばその“獣性”を解放して、激しいプレーでチームを鼓舞します。彼はスーパーラグビーの『チーフス』でもプレーし、ニュージーランド代表『オールブラックス』の中心選手たちからも一目置かれる存在。今の代表チームのカルチャーはリーチが中心となって作り上げてきたものですし、まさに精神的支柱です」

ジェイミーが求めるキャプテン像に合致するのはリーチしかいない

 だが、リーチは前回のW杯後、“燃え尽き症候群”に陥る。16年にジェイミーがHCに就任した直後、代表招集を辞退した。

俳句を詠んで選手を鼓舞したジェイミー

「このまま続けたら精神的にも肉体的にも持たないということで、休む選択をしたんです。リーチが休みたいと伝えた時、ジェイミーはすぐに席を立って、明らかに拒絶反応を示し、一時は関係がギクシャクした。

 それでも代表に復帰し、主将に指名されているのは、ジェイミーが求めるキャプテン像に合致するのはリーチしかいないからです。今は、深い部分で信頼関係が出来上がっています」(スポーツ紙記者)

 リーチとともに日本躍進のカギを握るのが、ジェイミーHCだ。

 現役時代は突破力のあるフォワードとして活躍、オールブラックスにも選出された。95年から7年間、福岡のサニックスでプレーし、日本代表として99年W杯にも出場。母国で指導者として経験を積んだ後、日本代表のHCに就任した。

 コーチとして優れた点を、スポーツライターの多羅正崇氏が解説する。