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「私がここ最近、家庭内のストレスなど精神的に疲弊していたことを気にかけて貰い、友人のXさんに『一緒にタピオカ屋をやろう』と誘って貰いました。当時はとても有り難く感じたのを覚えています。優樹菜にも『友人とタピオカ屋をやる』と伝えると、インスタグラムに投稿してくれて反響がありました。優樹菜のおかげもあり、7月20日のオープン当日から200人を超えるお客さんが来て下さり、オーナー夫妻らも『インスタの力は大きいね』などと話していて、優樹菜が宣伝してくれたことについても喜んでくれていました」(A子さん)

「優樹菜の宣伝を嫌がる様子はありませんでした」

「その後も、『優樹菜ちゃんの姉さんのお店ですよね!』と言ってくれるお客さんもいたのですが、私は必ず、『違うんですよ、オーナーさんに働かせてもらっています』と伝えていました。週刊新潮さんが取材に来た際も、私は『私のお店でなく、オーナーさんのものです。私は働かせてもらっていて、木下優樹菜も関係ありません』とハッキリ新潮さんにも伝えています。

 しかし、記事を見たXさんは『優樹菜ちゃん、軽はずみな行動を取ったね』と話していました。私は迷惑を掛けたと思い、オーナーやそのお母さんに謝りに行くと、『雑誌なんて載りたくても載れるものじゃないし、売れてナンボなんだから大丈夫だよ!』と言って下さり、優樹菜の宣伝についても嫌がっている様子はまったくありませんでした」(同前)

木下優樹菜 ©共同通信社

 だが、オープン当初からXさんとA子さんの意見は食い違っていたという。

「そもそも、一緒に経営をするというような誘い方をされたのです。資本金も半分払うつもりでしたが、Xさんに『うちの会社で払うから大丈夫!』と断られた。内装のデザインなどもXさんが1人で決めていたので、そのときから私は経営ではないという自覚がありました。7月20日のオープンから7月31日まで、お金の話などはほとんどしていません。7月31日にXさんから今月分ということで私の給料が手渡され、そのときに『来月からどうする?』と初めて具体的な話になりました。

 そのときに『給料は毎月25日締めでその月の月末払い』『時給1000円』といった具体的な給料についても決まったのです。私が出勤する頻度の話もして、『人が足りない時のパートとしてお願いします』と伝えました。私は子育てもあるので『17時までしか働けない』ということも伝えました。そういった話し合いの結果、私は8月中、毎週金曜のみ働くということになりました」(同前)

「共同経営だと言った」「言っていない」

 話はまとまったように見えたが、また意見が食い違い、A子さんは8月末にXさんと話し合ったという。

「8月30日、Xさんから『今月、ほとんど私1人でやるのキツかったから、来月からは日数多めに出勤して欲しい』と言われました。しかし、私は子供の世話がある、と話すと『共同経営なんだから、負担も半分にしなきゃ』と言われました。

 このとき、私は”共同経営“という言葉に引っかかり、帰宅後、夫に相談しています。もうお互いによく分からなくなっていると判断し、私が身を引いたほうがいいんじゃないかと考え、再び翌31日に話し合いをしています。そこで『私は辞める方向だ』と伝えると、Xさんからは『じゃあ、出られるときだけ出てね』と言われました。そのほかのことも、お互いの心の内をぶつけ合った。その上での言葉でしたので、私は和解したと思っていました。

 しかし、9月1日の朝に再びLINEで『共同経営だと言った』『言っていない』という話になり、意見が食い違います。そこで、9月2日に私の夫も交えて話し合いをしようという流れになりました。その話し合いの場で『私は辞める方向で』と伝えましたが、なにも解決しませんでした」(同前)

 その後、突然、Xさんから店の合鍵を受け取りたいという連絡があったという。