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「志ん生が満州で自殺未遂?」『いだてん』で宮藤官九郎が一番書きたかった回とは

2019/10/13

 NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』は、落語家の古今亭志ん生が「東京オリムピック噺」を語るという形をとりながら物語が進行している。劇中では、浅草でやさぐれた生活を送っていた美濃部孝蔵青年が、落語と出会い、紆余曲折ありながら名人・志ん生へと成長していくさまを森山未來が、また1964年の東京オリンピック前夜、寄席で「オリムピック噺」を語る年老いた志ん生をビートたけしがそれぞれ演じてきた。

なぜ宮藤官九郎は志ん生の物語にこだわってきたのか?

 ただ、これまで、本題のオリンピックをめぐる物語と、志ん生の物語は、時折接触しながらも、いま一つ関係性が見えてこなかった。それが先週10月6日放送の第37回で、老年期の志ん生に弟子入りして「五りん」と名づけられた青年(演:神木隆之介)の父親が、小松勝(演:仲野太賀)という日本初のオリンピック選手・金栗四三(演:中村勘九郎)の弟子であることが判明する。

『いだてん』で若き日の志ん生を演じる森山未來 ©文藝春秋

 小松は1940年の東京オリンピックにマラソン日本代表として出場するべく、金栗の指導のもとトレーニングを重ねてきた。だが、同大会は日中戦争の激化にともない1938年に開催が返上され、小松の夢は断たれる。彼は翌年、金栗の女学校での教え子だったシマの遺児・りく(演:杉咲花)と結婚し、長男の五りん(本名は金治)を儲けるのだが、太平洋戦争中の1943年、学徒出陣で戦地へと赴くのだった。

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 劇中ではかなり早い時期、五りんが志ん生に弟子入りする場面で、兵隊にとられた父親が満州(現在の中国東北部)から「志ん生の『富久』は絶品」と書き送ってきた絵はがきを見せていた。志ん生はたしかに戦争末期に満州に慰問団として渡っていたし、「富久」は得意とする噺ではあったが、当人には実際に満州で演じたのかどうか記憶がとんとない。それでも五りんは戦死した父親の足取りをたしかめるべく、志ん生の弟子になったのだった。

1964年東京五輪前夜の志ん生を演じるビートたけし ©文藝春秋
志ん生に弟子入りした五りん役の神木隆之介 ©文藝春秋

 きょう10月13日放送の第39回は「懐かしの満州」と題して、三遊亭圓生(演:中村七之助)らとともに満州に渡った志ん生の動向が描かれる。じつは志ん生が満州に渡る話は、作者の宮藤官九郎が、NHKのチーフプロデューサーの訓覇(くるべ)圭と朝ドラ『あまちゃん』に続く作品について話し合うなか、「戦争をまたいだ時代をとりあげながらも暗くなりすぎない物語」というテーマを提案されて、まず思いついたものだという(※1)。やがてこの話はオリンピックと結びつき、『いだてん』の企画ができあがっていった。第39回の演出を手がける大根仁は、訓覇からそれを任されるにあたり、宮藤が『いだてん』で一番描きたかったのはこの回だと聞かされたとか(※2)。それだけに第39回は、主人公の田畑政治(演:阿部サダヲ)と金栗四三はほとんど出てこないものの、このドラマにおいてきわめて重要な意味を持つ。先述の『富久』の謎はもちろん、志ん生が語り手を務める理由も、ここですべてあきらかになることだろう。