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連載この鉄道がすごい

こうしてJRの「グリーン車」は大衆の“プチ贅沢”になった

戦前の「一等車」から「ななつ星 in 九州」まで、鉄道史を振り返る

2019/10/27

 東北新幹線のグランクラスは、「高級」鉄道サービスにおける革命と呼べる画期的な車両だった。それでは、日本の鉄道史において「高級車両」はどのような変遷を遂げてきたのだろうか。歴史を振り返ってみよう。

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日本国内にもあった階級制度

 日本の鉄道開業から1960(昭和35)年まで、国鉄は三等級制だった。これはもともと海外の鉄道事情に倣った制度だ。日本国内でも明治時代は人々にも階級があった。皇族、元大名の華族、元武家の士族、そして平民だ。鉄道が市民階級別にきっぷを売ったということはないだろうけれども、皇族という特別な存在を除いて、庶民には三等車、華族、士族は一等車や二等車、という棲み分けはあったと思われる。

 第二次大戦後、一等車も復活した。しかし連結車両は少なく、市民階級も変化している。一等車は実業家や出張精算できる官僚などの乗りものだ。二等車は贅沢ができる人の乗りもの。相変わらず庶民は三等車であった。しかし一等車は1960年に廃止され、二等車と三等車の時代が続く。

東京ー大阪間を結んだ国鉄の特急「つばめ」号の一等展望車 ©文藝春秋

 当時は、一等、二等、三等で乗車券そのものの値段が違っていた。時期によって異なるけれども、たとえば二等きっぷは三等きっぷの2倍、一等きっぷは三等きっぷの3倍だった。乗客はきっぷの等級に見合う車両に乗った。

普通車の下品さを避けるため

 そして1969年。赤字転落した国鉄の経営改革の一環として、等級制が廃止された。きっぷはすべて三等運賃となった。二等車はグリーン車と呼ばれ、乗車券のほかにグリーン券が必要になった。蛇足ながら、国鉄の車両記号で、一等車はイ、二等車はロ、三等車はハだ。この記号はJRも継続しており、グリーン車はロ、普通車はハである。モハ、とあれば、モーター付きの普通車という意味になる。

 日本は高度経済成長期にあり、国民総生産が西ドイツ(当時)を抜いて世界第2位となった。一億総中流と呼ばれ、市民階級は大多数の庶民と政治家および実業家という図式になる。つまり、グリーン車は政治家および実業家など金持ちの乗りものだった。当時は日本の乗車マナーも悪く、車内の喫煙が認められていた上に、駅弁の空き箱は座席の下に捨てていく習慣もあった。こうした普通車の下品さを避けるためにもグリーン車の存在価値があった。