文春オンライン

47年前に最後の村人が下山……東京奥多摩の廃村「峰」で27歳まで暮らした旧住人が語る“あの頃の生活”

都心から日帰りで行ける廃村巡り #2

2019/10/26

genre : ライフ, 歴史,

 1972(昭和47)年に最後の住人が下山し、廃村となった東京奥多摩の集落「峰」。今も山の中にひっそりと残る集落跡を訪れた私と編集者のTは、山を降りた後、往時を知る人がいないか、鳩ノ巣駅周辺で聞き込みをすることにした。(全2回の2回目/#1より続く)

現在の峰集落跡

「子供の頃から出入りしていたから、よく知っているよ」

 まず向かったのは、駐在所である。お巡りさんに話を持ちかけたところ、その問い合わせ内容に少し戸惑いながらも、向かいにある喫茶店を指さし、ここのマスターなら知っているかもしれない、と先頭に立って歩き出した。そして喫茶店の扉を自ら開けると話をしてくれたが、その親切は実らず、取材の手がかりを得ることはできなかった。時刻はもう13時を回っている。登山の疲れが出始めてきたわれわれは、休憩がてら腹ごしらえをすることにした。

 鳩ノ巣駅周辺には飲食店が3軒ほどあり、なかでも繁盛していそうな一軒に決めた。釜飯が名物だということだが、朝飯になぜか釜飯を食べたというTがチャーシューメンを頼む。つられて私もそれにした。まん丸のチャーシューが5枚ものっており、なかなかうまかった。

ADVERTISEMENT

鳩ノ巣駅
駅前に設置されている「散策まっぷ」

 食べ終わって勘定を払い、店を出ようとすると、レジに立つ割烹着姿の年配の女性が目に入った。思い切って、峰の昔を知る人をご存じないか、と聞いてみると、その女性はすぐ横のカウンターで一人、昼酒を飲んでいる老人に声をかけた。この方たち、峰のことが知りたいそうですよ。

 ピンク色の半袖シャツを着た、ひと懐こそうな老人がこちらを向いた。「峰だって? もう古い話だからねえ。俺は峰の住人というわけじゃないが、子供の頃から出入りしていたから、よく知っているよ」

 迷わず、その場で話を聞くことにした。

600年前、武士団によって拓かれた地

 峰の出自とその盛衰に関しては、実は詳細な資料が存在する。民俗学者、牛島盛光による「柳田国男と奥多摩の峰集落」(『文化財の保護』第33号所収、2001年3月、東京都教育委員会発行)である。

 それによると、峰の住民たちの祖先は14世紀から15世紀にかけて、埼玉県秩父市付近に在住していた武士団の一部であり、権力闘争に敗れ、その土地を捨てて南進し、現在の険しい都県境(東京・埼玉間)を越え、山中に住み着いた人たちであるという。今から遡ること600年前にあの地が拓かれたことになる。

「峰」は杉林の中にあった

 さらに同資料によれば、民俗学の祖とされる柳田國男が、学生時代にこの峰を訪れ、集落の長である福島文長の家に二晩泊まらせてもらったという。1899(明治32)年のことで、柳田は25歳、東京帝国大学の2年生だった。