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《令和ヤンキー伝 side“A”》綾小路翔も「グッときた」荒川河川敷タイマン事件の全真相

決闘罪で書類送検された2人の16歳【荒川決闘ドキュメント】#1

source : 週刊文春デジタル

genre : ニュース, 社会

「他区との喧嘩で地元を背負ってる感じがして、絶対負けたくなかった。僕らの年代って学校にヤンチャな子が少ないから区で群れる。他の区には舐められたくないんです。朝は何も食べなかった。腹パン(腹にパンチ)されて吐いても嫌だったし、身体が重くなるかなと思ったんで。動きやすい服だったと思います。その日は学校休みで友達5、6人くらいに声をかけていてゴチャマン(複数での喧嘩)になることに備えました。制服だと学校がバレるので、みんな私服で向かいました。友達には強がって『タイマン負けたらみんなに焼肉おごってやる』と言ってしまいました」

 決闘の地となったのは足立区と荒川区の区境そばにある荒川、西新井橋下の河川敷。正午、土手に友人を待たせ、AはBと対峙した。

©文藝春秋

「ずっと心臓の音がドキドキしていました。Bも仲間数人を土手に待たせていました。SNSにアップして住所とかが晒されるのは嫌だったので、写真や動画を撮るのは禁止ということを全員に話しました。その後、互いに武器がないかを確認しました」

 足立区でもAの周辺で行われているタイマンのルールでは、帽子などの物を投げ、落ちた瞬間に喧嘩を開始するというのが通例だった。だが、Bとのタイマンはいっこうに始まらない。シビレを切らしたギャラリーの一人が開始の声を上げた。

「まず、僕が左ストレートを相手の顔に決めましたよ。そこから、相手からも殴られて、めちゃくちゃ痛かった。それから長い間、距離をとってお互い牽制し合っていました。周囲の声はまったく聞こえなかった。無言で見守っていたと思います。無我夢中だったので喧嘩中のことは正直覚えていないですが、鼻にパンチをもらって鼻血がダラダラと出て、Tシャツはビリビリ。長い時間やっていたと思います。30分くらいだったと周りは言っていますが、1時間くらいやったように感じました」

Aの拳が先にBの顔をとらえた ©文藝春秋

 途中、近隣住民の110番通報により警察官が駆けつけ、決闘は中断となった。Aは警察官に取り押さえられた。Bをはじめ、友人は皆その場から逃げ去ったという。