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2019/11/10

 当時、中核派などの過激派には幾つかの闘争目標があり、それをよく表しているのが「天皇即位儀式粉砕」「大嘗祭反対」「自衛隊海外派遣反対」の3つのスローガンだ。これらはバラバラの闘争目標ではなく、天皇制と大嘗祭と自衛隊海外派遣は一体のものとして捉えられている。天皇制の下で軍部が中国や東南アジアを侵略した過去は、自衛隊の海外派遣という形で復活しつつあり、かつての国家神道は、政府による大嘗祭の執り行いという形で芽吹いている。そしてこの中核にあるのが皇室――と彼らは見たのだ。

この29年間で定着した「平和主義の皇室」というイメージ

 過激派だけでない。市民団体も天皇制や大嘗祭に反対して、活発にデモや集会を開いている。「天皇の代替わりを利用した天皇制強化を許すな」のスローガンもあり、天皇制や皇室への強いアレルギーが一定程度、存在していた。

 しかし皇室を取り巻く環境はいま大きく変わった。皇室を狙ったゲリラ事件は一件も起きなかった。「大嘗祭は政教分離の原則から憲法違反」という批判はあるが、これは大嘗祭に公費を支出する安倍政権に対する批判であって、皇室に向けられたものではない。

©JMPA

 この29年の間に「平和主義の皇室」というイメージがすっかり定着し、中道派から左にとって皇室はむしろ憲法を逸脱しかねない安倍政権に対する防波堤となっている観さえある。先の天皇、皇后が果たしてきた象徴としての役割、慰霊の旅などに人々が信頼を高め、共感し、薄皮をはぐようにアレルギーが取り払われてきた結果といえるだろう。

前回の「即位の礼」は湾岸戦争のさなかだった

 前回の「即位の礼」は時代の端境期に当たった。前年11月に「ベルリンの壁」が崩壊し、冷戦終結のプロセスは緒に就いたばかりで、その間隙を突くようにイラクのフセイン大統領はクウェートに軍事侵攻し、湾岸危機が勃発した。1990年8月、「即位の礼」の3カ月前だった。「即位の礼」は世界の元首、首脳、祝賀使節を迎え、華やかに執り行われたが、その舞台裏で日本は新しい時代にどう対応するか四苦八苦していた。

 湾岸危機で日本は国際社会から財政支援と人的貢献を求められた。財政支援は最初10億ドルを決めたが、米国の不満に押される形で小出しに積み上げ、最終的に130億ドルになった。もう一つの人的貢献では、自衛隊の海外派遣を視野に置いた国連平和協力法案は「即位の礼」の直前に廃案となった。過激派が「自衛隊海外派遣反対」を掲げたのはこの国連平和協力法案のことだった。

前回の「祝賀御列の儀」(1990年11月12日) ©AFLO

 日本にとってトドメとなったのは、クウェートが自国の解放後に米紙に載せた感謝広告に日本の国名がなかったことだった。この湾岸危機・戦争での一連の出来事は“外交敗戦”として関係者にトラウマとなって続くことになった。