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乙武洋匡「感動ポルノ」との決別

障害者はまじめで頑張り屋。私はそのイメージに応えられなかった。

2017/02/28
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 昨年、メディアに「感動ポルノ」という言葉が踊った。これはオーストラリアの人権活動家であるステラ・ヤング(故人)が2012年に初めて用いた言葉で、彼女は障害者がやたらと感動的に扱われる現象について、皮肉をこめてこう呼んだ。日本では、昨年8月にNHK Eテレが放送した『バリバラ』という番組が、もはや晩夏の風物詩とさえなった感のある『24時間テレビ』について「感動ポルノである」と批判した。これまでにもネット上では、「お涙頂戴」などと揶揄されてきた同番組だが、ここまではっきりと、しかも公共放送であるNHKによって否定されたのは、ある意味、画期的なことだったと言える。

 じつは、何を隠そうこの私も「感動ポルノ」に苦しめられてきた1人である。幼少期から、褒められることが多くあった。歩く、食べる、字を書く――私としてはいたって普通のことをしているつもりだったが、周囲は「すごいね」「よくそんなことできるね」と褒めそやした。周囲は、と言っても、子どもたちではない。大人たちの話だ。

 しかし、私はこれらの褒め言葉を素直に受け取ることができずにいた。私は、みんなと同じことをしているだけ。それでも褒められるのは私だけだ。なぜだろう。子どもながら至った結論は、「私が障害者だから」だった。人々のなかに、「障害者だから、きっと何もできないだろう」という前提や思い込みがあるために、私が周囲と同じことをしただけで驚かれる。賞賛される。それは誇らしさや心地良さといった心境からは程遠く、「むしろ見下されているのではないか」という不快感にも似た心持ちだった。

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 そんな複雑なコドモゴコロを払拭するにはどうしたらいいのだろうと考えた結果、私が思いついたのは、有無を言わさぬ結果を残すこと。「みんなと同じ」程度だから、褒められてもモヤモヤするのだ。健常者と比べても、それを上回る結果を残せばいい。それなら、たとえ褒められても素直に受け止めることができるだろうと考えたのだ。だから、勉強を頑張った。だから、きれいな字を書いた。だから、モテたいと思った。すべては、「感動ポルノ」から脱するために。

 結果さえ出してしまえば、「一時的に」忌々しい呪縛から逃げることができた。だが、それから十数年後、私はまたしても同じ呪縛に苦しめられることとなる。『五体不満足』が出版されると、私は瞬く間に世に知られる存在となった。これまで障害者に対して抱かれていたステレオタイプのイメージを打ち破りたいとの一心で書いた本だったが、実際に打ち破ることができたのは、せいぜい「障害者=不幸な人」といった図式くらいで、いくら私がやんちゃなエピソードを語っても、品のない下ネタを口走っても、露悪的に振る舞っても、世間がそこに見るのは「マジメで頑張り屋のオトちゃん」で、それは本人がいくら否定しても、メディアも、読者や視聴者も、不思議なほど頑固だった。当初こそメッキが剥がれたときに浴びるだろう批判に恐怖して、「ボクはマジメなんかじゃない」と必死にアピールしていたものだが、暖簾を押す腕さえない私には、この頑ななまでの「だって障害者は」というイメージを突き崩すことができず、やがて疲れ果ててしまった。わかったよ。もう、いいよ。はいはい、マジメで、頑張り屋ね。何とかご期待に応えてみるよ――。

©getty

 まったくもって応えられなかったのは、みなさんご存知の通りである。応援してくださっていた方々を裏切ってしまった罪悪感は、もちろんある。でも、どこかでホッとしている自分もいる。これで、ようやく感動ポルノという呪縛から解き放たれて生きていくことができるのではないか。多くの人が障害者に対して抱いてきた「マジメで頑張り屋」というイメージをぶち壊すことになったのではないか。もちろん、マジメで頑張り屋の障害者もいる。酒癖が悪い障害者もいれば、女癖の悪い障害者もいる。健常者にもいろいろいるように、障害者にもいろいろな人がいる。

 ああ、そんな当たり前のことを説明するのに、人生の40年も費やしてしまった。しゃあない。気を取り直して再スタートするか。今度は逆に、マジメに頑張ってみようかね。

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