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三浦雄一郎から贈る言葉 いくつになっても、病気があっても目標を持って自分らしい人生を!

人生100年時代、私はこう生きる!

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心臓の病を持つ三浦雄一郎さんの3回目のエベレスト登頂(当時80歳)を支えたのは、次男・豪太さんと国際山岳医・大城和恵先生。「山は最高のホスピタル」と語る三浦雄一郎さんの「攻めの健康法」について3人にお話を伺った。

左から三浦雄一郎(プロスキーヤー、冒険家)、大城和恵(循環器内科医、国際山岳医)、三浦豪太(プロスキーヤー、博士(医学))
左から三浦雄一郎(プロスキーヤー、冒険家)、大城和恵(循環器内科医、国際山岳医)、三浦豪太(プロスキーヤー、博士(医学))

目標をもつことで心臓の病気を治療し余命宣告3年も返上

 雄一郎さんがエベレスト登山を目指したきっかけは、65歳の時の体調不良にあった。

「心臓に激しい痛みがあって受診したら、不整脈がひどくて狭心症の発作があるといわれたんです。しかも高血圧や糖尿病の疑いもあり、そのままの生活を続けると余命3年。当時94歳だった父親(山岳スキーヤーの草分けである敬三さん・故人)は90歳を超えて3回も骨折をしたのに元気で“99歳でモンブラン滑降”を目標にしていました。それに触発されて5年後にエベレストに登る目標を立てたんです」(雄一郎さん)

 とはいえ、引退してから特に目標のない生活をしていた雄一郎さんは身長164cmで体重90kgのメタボ体型。試しに札幌近郊にある標高531mの藻岩山に登ってみたら数分で息が切れて脂汗が出て心臓はバクバク、山頂にたどり着けなかった。

「こんな調子でどうなるんだと気が遠くなりかけましたが、私は先天的に無責任楽観主義。エベレストに登るために普通のウォーキングではなく、足首にアンクルウェイトをつけて歩く“攻めの健康法”を始めたんです。最初は片足1kgで、10kgのリュックを背負って歩く。すると半年で体重が84kgまで落ちた。2年目は3kg、3年目は5kg、登山直前には10kgになり、リュックも30kgでした」(雄一郎さん)

エベレスト登攀中(2013年)の雄一郎さん
エベレスト登攀中(2013年)の雄一郎さん

治療してできることが増えるのが楽しみで入院も悪くなかった

 その頃から、運動生理学、アンチエイジングの専門家として雄一郎さんの挑戦を支えているのが次男の豪太さん。

「スキーで鍛えていたので下半身の筋力はありましたが、持久力が極端に弱かった。アスリートも一般の人も高齢になると最大酸素摂取量が低下します。それをカバーするためには体を壊さないトレーニングが重要。ある程度つらい思いをしなくてはならないけれど、つらすぎてはいけない。高齢になるほどその幅が狭くなるので見極めが大切なんです」(豪太さん)

 こうしてハードで地道なトレーニングを続けたおかげで、70歳でのエベレスト登頂は成功。ところがその後、不整脈がさらに悪化してしまった。

三浦雄一郎
1932年生まれ。エベレスト・サウスコル8,000mからのスキー滑降を始め、世界七大陸最高峰からのスキー滑降を達成。70歳、75歳、80歳と3度のエベレスト登頂に成功する。著書に、『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』ほか多数。最新刊は『歩き続ける力』。
三浦雄一郎
1932年生まれ。エベレスト・サウスコル8,000mからのスキー滑降を始め、世界七大陸最高峰からのスキー滑降を達成。70歳、75歳、80歳と3度のエベレスト登頂に成功する。著書に、『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』ほか多数。最新刊は『歩き続ける力』。

「家の階段を上がっただけで気を失うくらい。それでも何としてもまた登りたかったので、心臓の手術を受けることにしました」(雄一郎さん)

 そして75歳のエベレスト登頂も見事成功。次は80歳、と目標を決めた。けれども76歳の時にジャンプで失敗。大腿骨頸部と骨盤を骨折して1か月間寝返りさえ打てない状態になってしまった。

「この時は豪太を含めて家族全員、エベレストは諦めるだろうと思っていたらしい。でも私はひとかけらもそう思わず、治して登ると決めていた。寝返りが打てるようになったりひとりでトイレに行けるようになったり、治療してできることが増えるのが楽しみで、入院生活も悪くないと思いましたよ。人間どんな小さなことにも希望が持てるんですね」(雄一郎さん)

60代以上で息切れやむくみがあったらまず主治医に相談を

 骨折からは3年かかって復活。そして、エベレスト登山3回目からチームドクターとして参加することになったのが、日本初の国際山岳医である大城和恵先生。登山の魅力も怖さも熟知した上で、雄一郎さんの健康を預かることになった。

大城和恵
日本人として初めて「UIAA(国際山岳連盟)/ICAR(国際山岳救助協議会)/ISMM(国際登山医学会)認定国際山岳医」の資格を取得。現在は、北海道大野記念病院にて循環器内科・内科および登山外来で診療に当る傍ら、北海道警察山岳遭難救助隊のアドバイザーも。
大城和恵
日本人として初めて「UIAA(国際山岳連盟)/ICAR(国際山岳救助協議会)/ISMM(国際登山医学会)認定国際山岳医」の資格を取得。現在は、北海道大野記念病院にて循環器内科・内科および登山外来で診療に当る傍ら、北海道警察山岳遭難救助隊のアドバイザーも。

「お会いした時はかなり心臓に不安のある状態でした。不整脈や動脈硬化、心肥大も見られる。高血圧や境界型糖尿病もあり、心不全のリスクがある。日々の予防が必要でした」(大城先生)

 事前にメディカルチェックも兼ねて登ったロブチェ東峰遠征では、厳しい現実に直面した。

「ひどい不整脈で一歩も動けなくなってしまった。それで大城先生にまた手術をすることを勧められまして」(雄一郎さん)

「すぐに帰国して治療を始めれば3か月後の予定に間に合うとお話しすると、雄一郎さんは即決断してくださったんです。目標を達成するために治療するという前向きな志の高い方だと感激しました」(大城先生)

 さらに体力自体、70歳の時とは全く違うことが明らかに。

「高地では、最大酸素摂取量が実年齢プラス70歳の状態になると言われるので、80歳なら150歳。一流の登山家でも3人に1人しか登頂できないエベレストに、年齢相応の持久力しかない父が登れるのか。徹底的に戦略を練りました」(豪太さん)

三浦豪太
1969年生まれ。雄一郎さんの次男。11歳で家族と共にアフリカ・キリマンジャロ登頂(最年少記録)。モーグル・スキーの元五輪(リレハンメル、長野)日本代表。米国ユタ大学スポーツ生理学部卒業。博士(医学)。順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座。
三浦豪太
1969年生まれ。雄一郎さんの次男。11歳で家族と共にアフリカ・キリマンジャロ登頂(最年少記録)。モーグル・スキーの元五輪(リレハンメル、長野)日本代表。米国ユタ大学スポーツ生理学部卒業。博士(医学)。順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座。

 そこで参考にしたのが、雄一郎さんが以前耳にした“年寄り半日仕事”という言葉。

「普通1日で登るところを、無理せず2日で登ることに。高所滞在が長くなるリスクもありますが、父が安全に登るための特別な計画です」(豪太さん)

「究極の老人介護登山ですよ(笑)」(雄一郎さん)

 こうして80歳でも登頂を成功させた雄一郎さんだが、その後も健康状態に不安は残った。

「トレッキング中に肺うっ血を起こし、軽い心不全の症状がありました。心不全というと原因は心臓病と考えがちですが、この時は不整脈によるものではありません。高血圧や糖尿病など長年の生活習慣病が、時間をかけてじわじわ雄一郎さんの心臓を痛めつけ、むくみと息切れがひどく歩くのもやっとでした。実は75歳以上の方に少なくありません。むくみや息切れという症状を、年齢のせいと考えて心不全の症状だと気づかない方もいらっしゃいます。今は薬が良くなって科学的なリハビリの方法も確立されているので、適切な治療を受ければ登山も十分可能です。60代以上で不安があれば、まず主治医の先生に相談してください」(大城先生)

新しい明日の自分に会える楽しみ! 諦めずに次の目標へ

 今年、雄一郎さんは南米最高峰であるアコンカグアからのスキー滑降に86歳で挑んだ。6000mの拠点にまでは無事到達したものの、天候不良でなかなかその先に進めない。滞在が延びたことで雄一郎さんの体調は乱れ、心臓の状態が厳しくなってきた。

2019年、南米最高峰アコンカグアからのスキー滑降をめざす
2019年、南米最高峰アコンカグアからのスキー滑降をめざす

「体力的には余力がありましたが、それとは別に心臓が限界。さらに標高が高くなると低酸素下での危険が増し、突然死の可能性が高まる。医師としてこれ以上進むのは危険という判断を下しました。登頂するより生きて帰ることが優先ですから」(大城先生)

「先生の決断を父に伝え、受け入れてもらうのは僕の役目です。いつもプラス思考で登る気しかない父に納得してもらうのは難しく、必死でした」(豪太さん)

医師として雄一郎さんのコンディションをチェックし、心身ともにべストの状態での挑戦を支えた大城先生
医師として雄一郎さんのコンディションをチェックし、心身ともにべストの状態での挑戦を支えた大城先生

「びっくりしましたよ。99%登れると思い込んでいましたからね。でも大城先生が考えた末に決断を下し、豪太が私を何とか説得しようとしている。1時間くらい沈黙して抵抗を続けていたけれど、信頼する人たちがこれだけ一生懸命なんだから仕方ないと観念しました、渋々ですが(笑)。そして、次は90歳でまた世界の高峰を登るという目標を立てたんです」(雄一郎さん)

「ものすごく無念だったはずなのにそこで落ち込まず、次につながる自信がついたと即気持ちを切り替えた。諦めずに夢を見つける父の才能はすごいと感心しました」(豪太さん)

「雄一郎さんはこんな風に、年齢を重ねることを心から楽しんでいらっしゃるように思います。明日の雄一郎さんにはまだ誰も会ったことがないわけですが、ご自身が一番新しい自分との出会いを楽しみにしていらっしゃる。お父様の敬三さんが生きていらした101歳まではイメージができているのではないでしょうか」(大城先生)

 そして今、“三浦隊”は次の挑戦を視野に入れつつ、それぞれが目標を持ち、夢に向かって走り始めている。

次の目標について尋ねると、3人とも「すでに決まっている」と笑顔に
次の目標について尋ねると、3人とも「すでに決まっている」と笑顔に

「アンチエイジングを専門とする僕にとって、父と山を登るのは研究でもあり、興味でもある。父が挑戦を続ける限り、それをサポートするのは僕の夢でもあります」(豪太さん)

「私自身、登りたい山がたくさんあります。そして同時に、一人でも多くの命を救いたい。特に専門が心臓なので、登山者自身に知識を持ってもらうことで、山での心臓死を減らしたいと強く思っています」(大城先生)

「夢を諦めないこと、チャレンジを忘れないことが、健康やその先の人生につながります。登山であれば、まずケーブルカーを使ってもいいから小さな山に登ってみる。山を楽しむ気持ちがあれば、小さな登山を繰り返しながら次の目標が生まれるでしょう。そうして“自分なりのエベレスト”を見つけて欲しいですね」(雄一郎さん)

 さらに豪太さんには、祖父、父から受け継いだものを、自身の子どもや子ども世代へ伝えるという夢もある。

「そして僕自身もまだまだ現役スキーヤーとして挑戦を続けたい。とはいえメタボに足を突っ込んでいるので、いつも体重計との勝負。シーズン以外も楽しく続けられる健康法を探しています。今のおすすめは妄想ランニング(笑)。好きなことだけ考えながら走ると、前向きな気持ちになって楽しいですよ」(豪太さん)

提供/ノバルティス ファーマ株式会社

参考サイト:心臓SOS

photo:Shigeki Yamamoto, text: Ayaka Sagasaki, design:Yasuyuki Hattori(iwill)
photo at the mountains:©MIURA DOLPHINS