文春オンライン

連載昭和の35大事件

女学生の同性心中からはじまった猟奇の「三原山ブーム」とは――沸き起こる“自殺熱”を盛り上げた報道

女学生の同性心中からはじまった猟奇の「三原山ブーム」とは――沸き起こる“自殺熱”を盛り上げた報道

「貴代子は泳ぐように火口へ消えていった」

2019/11/24

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア

世界的話題となった猟奇とスリルの三原山ブームも、最初は女学生の同性心中からだった。筆者は当時の朝日新聞記者。
初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「三原山投身繁昌記」(解説を読む)

 大島の元村通信部から、こういう電報が社会部デスクへとびこんできた。

(大島元村特電)12日朝元村に入港した東京湾汽船菊丸から上陸した女学生風の美人2人は、すぐその足で白煙上る三原山への登山路をたどって行ったが、12日昼頃になってその内の1人の女学生は、突如噴火口に飛び込み自殺を遂げた、同行の女学生風の娘は警戒中の人々に助けられ、目下同村で保護中である。飛び込み自殺した女学生は本郷区駒込千駄木町、常盤松高女専門部松本貴代子(21)と見られる。

「女学生、噴火口、しかも2人、こりゃすごい!」

 私は当時、社会部のデスク補助をやり、その夜――昭和8年2月13日、夜勤で出社したばかりだったが、給仕が抛りなげていったこの電文に目を通しているうち、思わず立ち上った。「女学生、噴火口、しかも2人、こりゃすごい!」私はデスクと相談してすぐウナ電を打ち返した。その頃はまだ電話が通じていなかった。「保護中のもう1人の女学生の身許並に事件の詳報送れ」――この打電と同時に、常盤松高女を管内にもつ渋谷署担当の金子喜蔵君(現在東朝調査研究室員)に調査を頼んだ。

ADVERTISEMENT

©iStock.com

 金子君は、「常盤松高女には専門部はないはずだが」疑問をもちながら金子君はすぐ常盤松高女に飛び、学生名簿をくったが該当者が見つからぬ。その足で駒込千駄木町へ――交番を調べ、駒込署の索引をくってみたがここにも該当なし。あの広い千駄木町を、そば屋から酒屋から八百屋から「松本」をさがし回って、やっと14番地に東片町79から引越してきたばかりの、ささやかな骨董屋松本市太郎さんをさがしあてた。白髯、69才の市太郎さんは「たった今さき、元村署から娘が死んだ、という電報をうけとりましたが、何で死んだのか、わしにはさっぱり分かりませんで」

自宅に書き残されていた絶筆

 と首をかしげていた。しかし仏前には、愛娘の写真が飾られ、彼女が書き残していった短冊――

よそほはむ心もいまは朝かすみ、むかふかひなしたがためにかは

 その流麗の筆の跡には香煙が静かに立ち昇っていた。金子君はここで一切を取材した。小石川の淑徳高女を卒業して、実践高女専門部国文科2年に在学していること――道理で常盤松高女には該当者がないわけである。6年前母を失い、昨年は結婚していた姉が死んだ。この姉とは気が合っていただけに、とてもがっかりしていた。去る11日は紀元節の式から帰って、友達の処へ行くといって出ていったが、何となく気がかりになったので――「親に心配をかけないでくれよ」といったら、ウフフと笑いながら――「雲のよらなもんだわ」といっていた。

©iStock.com

 雲のようなもの――今でもそれを考えているが、さっぱり分りませんナ、という老父の述懐。この述懐を聞きながら、金子君はじりじりしていた。市内版の締切時間が迫っているからである。もう1つの獲物――喜代子の写真と彼女の絶筆、これを借りうけるため、彼は仏前にうやうやしく一礼した。この一礼は老父の心を打ったらしい。彼は写真と短冊を手に、凍てつくような街頭にでると、すぐタクシーをひろった。

 元村からの後報はまだきていなかった。保護されたもう1人の女学生を追うて、彼は実践女学校へとんだ。宿直の先生はもうねていたが、事情をきくと池田みよ教諭がとびおきてきた。