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【追悼】中曽根康弘が若者へ残した“遺言”「日本人としての誇りはあるか?」

1万5000字を超えるメッセージの冒頭を特別公開

2019/11/29

source : 文藝春秋 2015年9月号

genre : ニュース, 政治

 11月29日、中曽根康弘元首相が東京都内の病院で亡くなりました。101歳でした。1918年に群馬県で生まれた中曽根さんは東京大学を卒業後、旧内務省へ。1947年に衆議院選挙に当選し、政界へと進出しました。1982年には内閣総理大臣に就任し、その在任期間1806日は歴代5番目の長さに。そんな中曽根さんは「大勲位の遺言」と題し、「文藝春秋」2015年9月号に若者へのメッセージに溢れた手記を寄せていました。その冒頭を特別公開します。中曽根康弘さんのご冥福をお祈り致します。

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 まもなく70年目の終戦の日を迎える。70年前の8月15日、私は海軍主計大尉として香川県高松で玉音放送を聞いた。電波の状況が悪く、雑音も多い中でラジオから聞こえてくる陛下の御声から、戦争が終わったことは分かった。張りつめた感情の糸が切れたように悲痛とも安堵とも分からぬ感情が込み上げてきて滂沱の涙があふれ、ジリジリと焼けつく校庭で激しく鳴いている蝉の声だけが耳に迫っていたのを今でも鮮明に記憶している。

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 昭和20年の秋に復員して内務省に復職し、廃墟の東京で茫然と立ち尽くし、この国を立て直していけるのだろうか、国民生活は本当に回復できるのだろうか、と思ったあの日からすれば、誠に隔世の感がある。それから70年、一面の焼け野原だった東京の町は、高層ビルで埋め尽くされ、夜になると、澄んだ夜空に一面の街灯りが広がっている。光で埋め尽くされた東京の夜景は、敗戦、復興を経て、今日の発展を成し遂げた日本の、この70年の何よりの証でもある。

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©文藝春秋

 思えば、戦後日本の復興を遂行してきたのは、戦前・戦中に戦場や内地で青春を過ごした私と同世代の人々であり、日本の文化や伝統を尊重しつつ自由民主の国民的共同体のもとに新しい日本を建設しようと熱情を持って敢然と立ち上がり、国の行く末を懸命に議論しては実行していった人々である。かつて私が従事した帝国海軍は解体されて無くなってしまったが、海軍の「短現」(短期現役主計科士官=戦時における士官の不足を補うため、旧制大学出身者等を海軍が2年間に限って採用した士官制度)出身者の多くも戦後各界のリーダーとなって、我が国の発展を支えた。私が首相時代に大胆な行財政改革を成し得たのも、戦火に散っていった仲間や犠牲となった同胞への鎮魂の思いを胸にこの国の発展の礎にならんとした海軍時代の仲間達が各省庁や経済界の幹部として支えてくれたからであった。