昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

《顔面にM16連射》山口組抗争激化のキーマン“超武闘派“高山清司若頭の素顔

ノンフィクションライター・溝口敦氏インタビュー

2019/11/30

source : 週刊文春デジタル

genre : ニュース, 社会

 それまで、山口組の組長と、ナンバー2の若頭は、別の組から出すのが慣例でした。それを破ったことに加えて、髙山の組織運営が他の組からすれば強権的で、組内では不満が積もり積もっていた。そんな状況の中で、髙山が7代目になるという話がでてきた訳ですから、「弘道会が続けて組長になるのはおかしいじゃないか」と、大きな火種になった。彼の服役を契機に「山健組」の井上邦雄組長らそれまで山口組の中核を担っていた組織が次々に去っていったのです。

 つまり、分裂の引き金を作った髙山が戻ってきたからには、髙山自身がこの問題を終わらせるために動くのではないか、と周りは見ている。それが、彼の出所に注目が集まる理由なのです。

そもそもなぜ3つに分裂したのか?

 いま山口組の中枢にいる弘道会という組織は、名古屋が本拠地です。弘道会を率いていた司忍は、大分の水産高校を経て大阪に出、その後名古屋に移った。山口組系の組織に加わって、愛知の津島出身の髙山と出会い、東海道筋のヤクザを次々と潰してきた。

司忍6代目組長 ©時事通信社

 そして、司は5代目の渡辺芳則組長(山健組出身)を、半ばクーデターのような形で引き下ろし、6代目にのし上がったのです。

“弘道会方式”とも呼ばれる彼らの支配方法は、月々の厳しい上納金の設定に加え、組長の誕生日、お中元、お歳暮と、何かにつけてさらなる上納金を要求。また、飲料水や洗剤、歯磨き粉に至るまで、多い組で月1000万円も強制購入させられたといわれています。

 この状況に反発して誕生したのが、「山健組」などを中心とした「神戸山口組」でした。彼らは「弘道会方式のような運営はしない」という理想を掲げたはずでしたが、神戸山口組においても、その厳しい運営に批判が高まり、さらに分裂する一派が出た。これが兵庫・尼崎などに本拠を置く「任侠山口組」です。

髙山清司若頭 ©共同通信社

 なぜ急に6代目の時代になって組織への不満が高まったかといえば、暴力団をめぐる社会情勢の変化が大きいと思います。

 要するに、弘道会方式は「これまでのヤクザ」の運営方法です。シノギで金を集め、それを組織の中央に集める。組織のために服役した人間を手厚く迎えていきながら、組織を巨大化させていく。高度経済成長とともに発展してきた「広域暴力団」という組織の流れにあるといえるでしょう。