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「あの事件でスピルバーグは過去の遺物になった」押井守監督が感じた“ハリウッドの破壊者”の限界

「時代は変わることを受け止めなければ、前には進めないだろう」

2019/12/05

 配信には、映画に伴う社会的な行動が存在していない。誰かと一緒に観に行って語り合うこともできなければ、袋叩きにすることもできない。個人的にネットに書き込むだけでは社会的な行動とは言えないよ。

 配信に何らかの社会性が生まれて、初めて、作り手にモチベーションが芽生えるんだと思う。今のままでは、映画を作って世の中に出すという範疇にすら入らない危険性も感じている。これからどうなるかで、我々の立ち位置も変わるけど、今はまだ模索中という印象だね。

 

「2020年は“映画である根拠”が失われる」

(2)テレビの基準に合わせてしまった日本の映画

 今年は劇場用アニメの多い年でもあったね。ざっと数えただけで70本くらい。その監督は若い人が多く、私たちと同じくらいの年齢の人間はほとんどいない。プロデューサーが若くなって、そういう人たちは同世代の人間と組みたがるものだから、まあ、それは仕方ない。

 ただ、その監督の中に、観客を呼べる者がいるかというと、ほとんどいない。これは実写の世界でも同じことが言える。日本の場合、重要なのは、まず人気のマンガやベストセラー小説の確保、イケメンなどのキャスト、そして最後に監督という順番。ハリウッドでは、まだ「ジェームズ・キャメロン最新作」というふうに監督がウリになる場合があるけど、日本ではまずないし、そういう監督もほぼいない。アニメの場合は、ウリは声優で監督は次の次。監督の名前で映画やアニメを観る時代は終わってしまったんだと思う。映画監督という専門性の根拠がなくなったのが、今の日本。アニメも同じ状況だね。

 

 日本の映画がインターナショナルになれない理由を探ってみると、こういう監督の不在、そして日本の映画がテレビの基準に合わせてしまったことが大きいと思う。アメリカでは、ケーブルテレビや配信が映画の基準に合わせてきたからこそ『ゲーム・オブ・スローンズ』などのすごいシリーズが生まれて、実力のある映画人が仕事をするようになった。ところが日本は真逆で、低きに流れてしまった。しかも、ファンはそれで十分満足しているように見える。これでは日本の映像エンタテインメントがインターナショナルになりようがない。