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連載歴史・時代小説の歩き方

2015/12/05

genre : エンタメ, 読書

未完でも「いいではありませんか」

 宇江佐さんは読者を二度驚かせた。ひとつは第9作『今日を刻む時計』で前作から一気に10年、時を進めたこと。そしてもうひとつは第10作『心に吹く風』の文庫版あとがきで、自らの癌を告白したことだ。

『今日を刻む時計』で時を進めた理由は、文庫版あとがきと「本の話」2010年7月号で触れられている。シリーズを完結させるには、これまでのペースだと時間がない、と思ったのだそうだ。けれどそのあとで、自分が死んだとき伊三次が未完で終わってもいいか、と心境の変化があったという。あとがきに、こうある。

「伊三次シリーズの最終回を書くことには固執しないと約束します。/行ける所まで行って、そこで私がお陀仏となっても、それはそれでいいではありませんか。そう思えるほど私も大人になったのです。それを踏まえて、どうぞ『今日を刻む時計』をお読みいただければ幸いに存じます」

『今日を刻む時計』が書かれたのは、宇江佐さんが自らの病気を知る2年以上前である。だから決して「予感して」書かれたわけではない。けれどこうしてそれが「現実」になってしまった。『竈河岸』では絵師を目指す伊与太が新天地へ行くし、龍之進は新しい岡っ引きと出会う。彼らの先を読めないのは本当に寂しいが、「それはそれでいいではありませんか」と、きっと宇江佐さんは言うのだろう。

『今日を刻む時計』を境に龍之進夫妻や伊与太の物語が中心となり、シリーズが世代交代を始めた。これは平岩弓枝「御宿かわせみ」シリーズで、主人公が子供たち第二世代へ受け継がれたのによく似ている。「髪結い伊三次捕物余話」はその構造からみても「かわせみ」を継げる作品になり得たと思う。

今日を刻む時計―髪結い伊三次捕物余話(文春文庫)

宇江佐真理 (著)

文藝春秋
2013年01月04日発売

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心に吹く風 髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)

宇江佐 真理(著)

文藝春秋
2014年1月4日 発売

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