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高山氏は「ワシがおるところが本家だ」と豪語

 古川氏襲撃に先立つ11月18日には福岡にある山口組二次団体「二代目伊豆組」系組員が、熊本の神戸山口組系組織の会長を切り付け、翌日には北海道でも三次団体「福島連合」系組員が神戸山口組系組織の会長宅に車で突っ込む事件を起こしている。いずれも団体のトップが高山氏から“激励”を受けた後の犯行だったとされる。

「当初警察側は高山氏が“懲役ボケ”であるかのような情報をしきりに流し、山口組を再統一するには抗争も辞さないとする高山氏と抗争を避けたい司忍組長(77)ら現幹部との“温度差”を煽り立てていました。高山氏はその意図を巧みに利用して組織の締め付けを図っていったのです。出所当日は首にコルセットを巻き、体調が悪いかの様に装っていましたが、実はあれはブカブカでコルセットの体を成していない。いわばカモフラージュのようなものです」(同前)

司忍組長

 三つ巴による抗争で神戸にある山口組総本部などの事務所が使用制限を受ける逆風のなか、高山氏は放免祝いの席で「ワシがおるところが本家だ」と豪語、復活の狼煙を上げたという。

「プラチナと呼ばれる本家直参が集まる定例会を中止し、当番という名の名古屋詣でを強制。しかも、運転手やお付きの待機を禁じ、単身で指定場所に入るよう指示しています。表向きは警察対策で、情報漏洩を防ぎ、集合場所を特定されないためとされますが、そこで直参の親分の自由を奪い、あれこれ仕事を言いつけるのです。高山氏は好んで“馴致(じゅんち)”という競馬用語を使うようですが、飼い慣らして忠誠を誓わせることが目的です」(警察関係者)

現場に残された銃器

 高山氏は組織内の統廃合にも着手。11月13日付で解散した二次団体「極心連合会」を巡る動きは、内外に驚きを持って受け止められた。

「極心連合の橋本弘文会長と言えば、島田紳助の引退の引き金になった大物ですが、もともとは神戸山口組の中核組織である山健組の出身。分裂後は二つの組織の間で“板挟み”となり、厳しい立場に追い込まれていました。11月上旬、高山氏は極心連合の若頭から直参に昇格した『極粋会』の山下昇会長を連れて橋本氏の元を訪れ、『お前の引退を認める代わりに山下に跡を継がせろ』と迫った。橋本氏は最後の意地をみせて、これを拒否。『それなら組を解散させる』と開き直り、引退の道を選んだのです」(前出・山口組関係者)