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“獄友”は刑事に恋して冤罪となった人――青木惠子さん55歳の世にも数奇な物語

第3弾

2019/12/24

 若手の男性と間近に接したことがなかった美香さんは外見が良く、優しい言葉をかけてくれる刑事の登場にドキドキしたという。業務上過失致死の疑いのはずがいつの間にか殺人罪になっていた。

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 東住吉事件……1995年(平成7年)、大阪市東住吉区の青木惠子さん(当時31歳)宅から火が出て全焼。娘のめぐみさん(当時11歳)が亡くなった。警察は惠子さんと内縁の夫Bさんによる保険金目当ての放火殺人として2人を逮捕。2人は無実を訴えたが無期懲役の判決で服役。だが弁護団の粘り強い調査で再審(やり直しの裁判)が決まり20年ぶりに釈放、後に無罪となった冤罪事件である。

2019年10月の日弁連人権擁護大会(徳島)にて冤罪被害者トークセッションに登壇した2人(筆者提供)

冤罪同士“獄友”の友情

 2006年、惠子さん(55)は無期懲役の刑が確定し、和歌山刑務所に収監された。ここは女性だけを収容する刑務所で刑務官も9割方が女性だ。

 通常、受刑者は模範囚として少しでも早く仮釈放してもらうため刑務官に気に入られようと心がける。だが惠子さんは「私は何も悪いことをしていないから仮釈放なんかいらない。再審で無罪になって堂々と出ていく」と宣言。刑務官にも言いたいことを言った。

 事態はなかなか進まなかったが、やがて朗報が届く。弁護団が行った再現実験の結果、放火は不可能だと証明されたのだ。再審への道が開けた。

 この時、ある受刑者が惠子さんに近づいて話しかけた。「実験の結果よかったですね」。それが西山美香さん(39)だ。惠子さんと同様、服役後も無実を訴えていた。2人は冤罪被害者として獄中で知り合い親しくなった「獄友」である。

美香さんは看護助手として働いていた(筆者提供)

 受刑者は刑務所内の工場で刑務作業をせねばならない。それが「懲役」だ。美香さんと惠子さんはたまたま同じ工場で隣同士で作業することになった。

週刊文春WOMAN (vol.4 創刊1周年記念号)

 美香さんは発達障害と軽い知的障害があると診断され、作業に集中するのが苦手だ。例えばスポンジを販売用の袋に詰める作業では、スポンジに付いているちりを取り除き忘れることがしばしばあった。そんな時、惠子さんは何も言わず美香さんの分も取ってあげた。

 美香さんは自分は無実だという思いがあるから刑務官に反抗的な態度を取ることがよくあった。そういう受刑者に対しては独居房に入れるなど様々な懲罰が科される。一方、惠子さんは言いたいことは言っていたが刑務所内のルールは守っていたから処遇は悪くなかった。