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完全戦闘モード! 軍事施設として見る彦根城の圧倒的な設計力

リサイクル天守を擁する名城

2019/12/26
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 彦根城でもっとも興奮するのは、設計力です。彦根城は関ヶ原合戦後、大坂城の豊臣秀頼および西国の大名を牽制する拠点として天下普請で築かれた城。実戦を想定しているため、軍事施設としての設計の妙が光ります。

彦根城。井伊直継により慶長9年(1604)から築かれた。

背筋が凍る、戦闘モードの設計力

 たとえば、天秤櫓の周辺。表門から登城道を登り切ると右手に天秤櫓門が見えてきます。橋の下をくぐり、3度左折を繰り返して、橋を渡らなければ天秤櫓門を突破できません。実は、橋下の通路は、人工的に山を断ち切った大堀切の堀底。かつての大手門から登城してもこの堀底にたどり着くように設計されているのですから、感嘆せずにいられません。

 侵入者は本丸側の天秤櫓と独立分離した鐘の丸から挟み撃ちされる算段です。鐘の丸まで侵攻したとしても、橋を壊されてしまえば本丸へ侵攻することはできず、引き返すこともできずに鐘の丸に取り残されることになります。

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廊下橋下の大堀切。右が天秤櫓。
大堀切。左が天秤櫓、右が鐘の丸。

 同じように、搦手(裏手)も大規模な堀切で分断されています。城内側には西の丸三重櫓と続多聞櫓が鉄壁のようにそびえ、敵兵の行く手を阻みます。さらに、堀に沿って山麓に向かっては、バリケードのように斜面に沿って積まれた「登り石垣」が設けられ、これにより西の曲輪を完全に分離しています。

天秤櫓。櫓門をくぐり本丸へと向かう。
搦手側の大堀切。