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息子を産んだ1年後に妻の「がん」発覚という絶望 なぜ46歳の夫は「実は不幸でもない」と思えたのか?

“死”が身近になって感じた“生”

2020/01/13
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 妻の大腸がんが発覚して1年が過ぎた。この出来事を振り返ろうとすると、どうしてもその前年に生まれた息子のことが付いて回ってくる。妻のがんと子供の誕生を並べて語るなんて、とんでもなく罰当たりなことだろうか。だが、ふたつの出来事は俺のなかで似ている部分があり、各々で“生”を途方も無いレベルで意識したのは確かなのだ。(全2回の2回目/前編から続く)

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新宿ビックロで感動パンツ試着中に妻からLINE

 妻の大腸がんが発覚したのは、2018年10月下旬。前夜から腹が痛いと訴えて朝早くに産婦人科へ向かった妻からLINEで「盲腸かも」と連絡が入ったのは、試写で観た『ボヘミアン・ラプソディ』の素晴らしさを噛み締めながら新宿ビックロで感動パンツを試着している最中だった。続けて「入院の可能性あり」「病院で医師の説明を聞いてほしい」と入ってきたが、こちらは“けっこうな腹痛=盲腸”以上のイマジネーションが湧かなかったし、AYA世代のがんについて知っていたものの“自分より10歳下の妻ががんになる”なんてことは想定外だった。ありがちだが、要するに自分や家族はがんとは無縁だと考えていたのだ。というわけで、いつもと変わらぬ速度で歩き、タクシーではなく電車に乗り、駅からバスで病院に向かった。

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がん発覚の日は『ボヘミアン・ラプソディ』の試写に行っていたが、手術に備えた入院日初日は同作の来日記者会見を取材していた。この映画には、なにかしら因縁めいたものを感じた。

息子が生まれたのはがん発覚の1年前

 息子が生まれたのは、そのちょうど1年前の2017年10月初旬。前夜から腹が痛いと訴えて朝早くに産婦人科へ向かった妻からLINEで「産まれるかも」と連絡が入ったのは、新宿にある某映画配給会社で『全員死刑』を手掛けた小林勇貴監督にインタビューする直前だった。同行する某映画誌編集者に「今日、子供が産まれるのに『全員死刑』の取材とは面白いもんすよねぇ」とヘラヘラ笑って話していたことをはっきりと覚えている。時間1時間のところを一切巻くこと無くきっちり1時間使ってインタビューし、「早く病院に来て」と妻からLINEが入っているにもかかわらず、なぜかいつもと変わらぬ速度で歩き、タクシーではなく電車に乗り、駅からバスで病院に向かった。

産婦人科へ向かう途中のやりとり。「産み終わったらマクドナルドのハンバーガーわしわし食べよう」と言っていたのを思い出し、寄っていこうと本気で考えていた。

 そして、病院でベッドに横たわっている妻の姿、産婦人科で分娩台に寝かされた妻の姿を見て、ウォンウォンと声をあげて泣くと共に常軌を逸した自分ののんきさを恨んだ。

 まったく異なる体験にもかかわらず、その類似性を意識するようになったのは、腫瘍摘出の手術をした日から。