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連載歴史・時代小説の歩き方

2016/10/01

genre : エンタメ, 読書

昌幸、まさかのナレ死!?

 まずは中村彰彦『真田三代風雲録』。秀頼の上洛を巡って家康と淀君の緊張が高まってきたという話を書きながら(以下、有働アナの声でお読みください)、

「しかし、それは昌幸の知るところとはならなかったに違いない。慶長十五年(一六一〇)のうちから老いゆえに病みついた昌幸は、翌年、家康が二条城で秀頼と会見したときには死の床に臥しており、『めでたく平癒したら一度会いたし』と信之に書き送りながら六月四日をもって死去した。実に幽閉十二年目、享年は六十五、戒名は一翁干雪大居士という」

 ナレ死! 昌幸パパ、まさかのナレ死!

 では池波正太郎『真田太平記』はどうか。昌幸が病に倒れるのが全12巻のうち第8巻の最終章だ。その後、小康を得た昌幸は散歩中に転倒、小枝のようなものが鼻腔に突き刺さって出血が止まらず、「この夜、真田昌幸は危篤におちいった」とある。

 パパの死因、鼻血!? ――というところで「9巻に続く」と来るからたまらない。慌てて9巻をめくると加藤清正と浅野幸長が伏見で会ったなんていう場面で、パパどうなったの! とジリジリする。すると、浅野幸長が馬でぽくぽく歩いて「春だなあ」なんて言いながら、いきなりこう述懐するのだ。

「九度山の真田安房守昌幸の病が快方に向かったかとおもうと、何やら庭で転倒し、鼻腔からの出血がとまらず、一時は危篤になったそうだが、いまは、どうやら出血もとまったそうな」

 ナレ死ならぬナレ蘇生、いや、浅野幸長による説明蘇生! ドラマで関ヶ原の結果が佐助の報告で終わったことを思い出す。そこ見せてよ!

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