ブライアンだかジムだかが、私をピアノがある場所まで導いてくれる。実は、当時の私はピアノの腕にはそこそこ自信があった。ここで取り返そう、という思いで、導かれるままに私は歩いた。
連れていかれた部屋には、ご立派なピアノがでんと鎮座していた。『さあリョウ、何でもいいから弾いてよ!』親戚中に私をもっと紹介したいのか、ジャックの目はきらきら輝いている。
いざ椅子に座り、期待に満ちた目に囲まれたとき、私ははたと我に返った。今ここで弾けるような、楽譜なしで弾ける曲って何だろう。さらにこの空気感からすると、一節だけでなく、それなりの長さを弾き切ることを望まれている――私は焦った。今思えば、「エリーゼのために」でも「トルコ行進曲」でも、とにかく世界的に有名な曲ならば何でもよかったはずだ。だが、楽譜なしで割と長めに弾ける曲、楽譜なしで割と長めに弾ける曲、と混乱状態に陥った私は、当時もっとも弾き慣れていた曲を弾き始めてしまった。
垂井町立不破中学校の校歌である。
死にたい――弾き始めてすぐ、私はそう思った。ホームパーティを楽しんでいた場が、突然、全校集会が行われる体育館のように見えてくる。先ほどタルイタウン・イン・世界地図という失敗を犯したというのに、その小さなタルイタウンの中にある小さな中学校の校歌を披露するなんて私は何を考えていたのだろうか。しかも、伴奏だ。和音を繰り返すばかりで、特にメロディラインがあるわけではない。
いつサビが来るのかな? いつ私たちの知っているメロディが来るのかな? みたいな顔をしていた一同は、『終わり』弾き終わった私に混乱の拍手を浴びせた。ブライアンだかジムだかが『うまいね!』みたいに言ってくれたが、私はこの異国の豪邸に垂井町立不破中学校の校歌が流れたという事実に薄ら笑いを浮かべてしまっていた。
なんだか、色々とうまくいかない。どうにか気分を盛り上げつつホームパーティを乗り切っていると、終盤、ジャックの姪だか甥だかいとこだかが、私に話しかけてきた。
『リョウ、夢はなんなの?』
突然のハートフルな展開を許していただきたい。向こうからすれば、十四歳という若さでホームステイをしにくるこのタルイ人にはさぞ大きな夢があるのだろう、とでも思ったかもしれない。私は姿勢を正すと、姪だか甥だかいとこだかの目をまっすぐに見て、言った。
『writer……将来、ボクは作家になりたいんだよ』
今思うと、美しいやりとりである。カナダの素敵なお家、初めて出会った陽気な人たち、そこで明かす将来の夢―まるで絵本の中にいるみたいだな、と思ったとき、姪だか甥だかいとこだかがぱっと表情を明るくして、言った。
『rider!? かっこいい! リョウは車を運転するんだね!』
姪だか甥だかいとこだか、ブンブンと言いながらハンドルをくるくる操る真似をし始める。おや? と思ったときにはもう遅かった。ジャックが『えっリョウはrider に
なるのが夢なの⁉ かっこいい夢だけど意外だね!』だかなんだか、目を丸くしている。
その周りを、バイクに乗る真似をしている姪だか甥だかいとこだかが駆けずり回っている。
違う、とは、もう言えなかった。
私はその日、ライダーを夢見る少年という像を演じ続ける羽目となった。今こうしてライターとなり、あのころの日々を振り返りお金を稼いでいると知ったら、ウィリアムズ家の皆様はどう思うだろうか。オールオッケ〜とまた笑ってくれればいいが、いんきんたむしの件は今思い出しても本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。本当に本当に出会う人全員がやさしくて良い人だっただけに誰にも菌がうつってなければいいのだが、それを確認する前に私の初めてのホームステイは終わりを告げたのだった。