東京から金沢まで、10時間かかったのだそうだ。何の話かって、松本清張『ゼロの焦点』(文藝春秋『松本清張全集3』/新潮文庫)である。新婚の夫が出向先の金沢に出かけたまま消息を断った。新妻・禎子は夫を捜しに都合3度、東京から金沢へ行く。交通手段は夜行急行「北陸」だ。
『ゼロの焦点』の舞台は昭和33年12月。上野発の「北陸」は高崎線、上越線、信越本線、北陸本線を経て金沢へ至る。「沼田、水上、大沢、六日町と駅名が寂しい灯の中で過ぎた」「直江津を発車したのは朝の暗いうちだった。青いブラインドを上げて覗くと、窓に疎らな遠い灯が凍りついていた。曇ったガラスの中を、その灯は、ゆっくりと動いていた」とある。
いやあ、夜行じゃなきゃ出ないね、この風情。しかも能登半島のローカル線ではタブレットを持つ助役なんて出てくるのよ。タブレットっつってもiPadじゃないぞ(近くの鉄ちゃんに訊いてみてね)。寝台車も連結されていたらしいが、描写から考えるに禎子が乗っていたのは座席車。それで10時間は辛かったろう。それがまあ今や北陸新幹線で2時間半ですってよ2時間半。通過駅の駅名なんざボクサー並みの動体視力がないと見えないわ。
10時間が2時間半てだけでもすごいんだけど、さらに昔は、10時間どころか2週間かけていた。江戸時代、加賀藩の主な参勤交代ルートは北陸道を越後まで行き、そこから北国下街道に入って信濃を経て上野(こうずけ)を通って武蔵、江戸に至るというもの。つまり21世紀の北陸新幹線とほぼ同じルートなんだねこれが。
加賀藩の参勤交代は雪が解けた4月。それでも2週間かかったわけだが、その江戸―金沢ルートを、夏なら5日、雪深い冬でも1週間で走り抜く男たちがいた。三度飛脚と呼ばれる者たちだ。