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無気力・無関心・無責任……日本社会の中枢を担う「しらけ世代」の残念すぎる生態

「だって俺たちの責任じゃないもん」と嘯く“1950年〜64年生まれ”たち

2020/01/28
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 しらけ世代をご存知だろうか。しらけ世代とは一般的に団塊世代とバブル世代の狭間にあたる、1950年から64年に生まれた世代を指す。年齢にすると現在50歳代後半から70歳まで、つまり現代社会においてはあらゆる組織の中枢を形成する世代だ。

 彼らが育ったのは、日本が高度成長期から2度にわたるオイルショックを乗り越えて、世界の先進国に発展をしていく“日本の黄金期”にあたる。彼らの前の世代である団塊世代や戦中世代が戦後の飢えをしのいで厳しい時代を乗り越えていったのとは対照的に、日本が豊かになっていくのを実感しながら成長した世代だ。

「無気力」「無関心」そして「無責任」

 彼らの中学高校時代には、上の世代である団塊世代が大学紛争で暴れまわり、テレビであさま山荘事件を固唾をのんで見守った。安保闘争、沖縄返還など政治的な抗争も目の前で繰り広げられたものの、生身がぶつかりあう戦争とは異なり、彼らの日常は何ら侵されることはなく、もっぱらテレビというブラウン管の中での出来事としか捉えることがなかった。

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©iStock.com

 やがてこれらの抗争が収束をする頃、彼らは大人への階段を上り始める。前の世代が暴れた大学は何事もなかったかのように平穏を取り戻し、こうした闘争に対する無力感だけが残された。彼らは政治的に無関心となっただけではなく、70年頃からは世の中のあらゆる物事を斜に見る「しらけ世代」と呼ばれるようになる。

 しらけ世代を象徴する言葉に「三無主義」がある。物事に対する「無気力」「無関心」そして「無責任」を合わせた、この世代の特徴を表す言葉だ。三無主義に「無感動」や「無作法」が加わって五無主義などとも言われるようになった。

偏差値争いとインベーダゲーム

 この世代の親たちの多くは地方から都会に出てきた世代である。しらけ世代の多くは都会に出てきた親の庇護のもとで何一つ不自由することなく育った。親の代とは異なり、十分な教育を受けることができ、この頃から偏差値を中心とした成績によって明確な順位付けが行われるようになる。

 偏差値は自分がその集団の中で平均よりどのくらい「上」であるか「下」であるかを示す指標となり、彼らは集団の中でどれだけのポジションにあるかを気にして育つようになる。良い成績をとって良い会社に入ればよい人生が送れる。つまりこの究極の個人主義がしらけ世代の特徴にもなったのである。

インベーダゲームに熱中する若者たち(1979年) ©時事通信社

 かぐや姫や井上陽水などのフォークソングを愛で、国や社会をテーマとせずに目の前の恋愛に心を砕いたのもこの世代の特徴である。学生たちはろくに勉強もせずに一日中喫茶店に引き籠もり、登場したばかりのインベーダゲームに現を抜かし、ゲームやデートのお金を稼ぐために毎日アルバイトに明け暮れたのだ。