『北海の篝火』(一条貫太)/『北のおんな町』(三山ひろし)
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いまどき、若いミュージシャン/歌手にとって、演歌というアートフォームは一体どのような位置付けのものになっているのであろうか?
今週取り上げる一条貫太だが、1996年生まれというから23歳である。資料によれば、演歌に興味を抱くこととなった発端は、子供のころにTVで観たコロッケや栗田貫一のものまねなのだそうだ。
そう聞いて妙に腑に落ちたものである。と申すのも、その逸話のとおりならば、入り口といおうか決して“演歌の持つ独特な風情”にとにかく心が奪われた、とかが、演歌歌手一条貫太の出発点でもなかったようだからだ。そこが何ともご時世らしいと思った。
かつては演歌歌手を目指すといえば、たとえば美空ひばりにあこがれてといった風な“直截的”な動機が殆どで、声帯模写に夢中になったのがスタート、などといった話は、あまり聞いたためしがない。
そういえば、声帯模写といういい回しも、もうすっかり死語になった。で、なんだかふと、昭和30年代のTVでしょっちゅう観た、桜井長一郎の品の良い佇まいや何回聞いても笑ってしまう巧みな話術のことなどを思い出してしまった。大好きだったなぁ。
あ、今でいう“ものまね”と声帯模写はまた別物なのかね? その辺のことはよくわからないので置いておくが。
ところで、一条貫太少年は「演歌」の一体何に夢中になったのか? コロッケにしろ栗田貫一にしろ、その芸風を思えば、TVでの彼等の歌唱法/発声は、どう考えても誇張されたものだったに違いない。それが故に少年には演歌の歌唱は、シリアスなのではなくなにより“面白いもの”として映った可能性はある。
いずれにせよ一条少年。歌詞内容の云々というよりは、ものまねの持つ音響的な部分の方に、先ずは心がいっただろうことは充分考えられる。
ひょっとして今の時代、同じようなルーツ(といったらいいのか?)すなわち、歌詞世界はどうでもよく、単に演歌の持つ独特なフィジカルの魅力に惹かれて歌手になろうかと思う若者も、案外そこそこはいるのかも……? そんなことを思った次第である。
閑話休題。
なんだかマクラが長くなってしまったが、さて、一条貫太の新曲である。
これが大レトロなアレンジも大仰な曲調にまた、令和の時代とは思えぬような古めかしい歌詞/景色という作りである。23歳の若さで、このアナクロといっていい舞台を堂々まとめ上げてみせるとは大したものだが、残念なのは独自性に乏しいところである。冒頭触れた通り、せっかく過去の世代とは違った道から入って来ているのだ。ならば何故そのことを“面白さ”として、歌唱なりに反映させられなかったものか? ま、演歌にそんなことは必要ない、といい切られてしまえば、返すコトバもないのであるが……。
三山ひろし。
あとひとつキャッチーなものは欲しかったかなぁ……。
今週のダメ押し告知「1月27日(月)に渋谷クラブクアトロで、江戸アケミ没後30年を記念したJAGATARA復活ライブがあるけど、オレのビブラストーンは彼らに影響を受けて始めたんだよね。30日(木)には、六本木の新世界でDVDビブラ爆音鑑賞会(ミニライブ付き)があるから、両者を聞き比べてみてよ」と近田春夫氏。「チケットは極めて僅少だよ!」
ちかだはるお/1951年東京都生まれ。ミュージシャン。現在、バンド「活躍中」や、DJのOMBとのユニット「LUNASUN」で活動中。近著に『考えるヒット テーマはジャニーズ』(スモール出版)。近作にソロアルバム『超冗談だから』、ベストアルバム『近田春夫ベスト~世界で一番いけない男』(ともにビクター)がある。
