文春オンライン

「歩けないのはやる気が無いからだ」 虐待された障害者の私が、植松被告に覚える既視感

2020/02/04
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「意思疎通できない障害者には生きる価値がない」と言い放つ植松聖被告に対して、あなたならどう答えるだろうか。

横浜地検から捜査本部のある神奈川県警津久井署に戻った植松聖容疑者(左)=2016年6月27日午後、神奈川県相模原市緑区 ©時事通信社

 私の名前はダブル手帳(@double_techou)。身体障害者手帳1級(重度脳性麻痺)と精神障害者手帳3級(発達障害)を持っていることから思い付いた安易なペンネームを使って執筆している。生まれつき歩くことができず、背筋は湾曲し、右手も自由にならないため、電動車椅子で生活している。

 両親に「ドーマン法」という障害者に対する苛烈な訓練を強いる民間療法(またはエセ医療)を受けさせられ、虐待されて育ってきた。本稿のキーワードである「ファシリテーテッドコミュニケーション(以後、FC)」と「ドーマン法」には密接な関係があり(注1)、そのことが本稿を執筆するきっかけの一つにもなっている。

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障害者施設で「指筆談」が行われていた

 相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた連続殺傷事件から2年経った頃、ある記事が私の目に留まった。

「やまゆり園 利用者との意思疎通 『指筆談』広がりの兆し」
https://mainichi.jp/articles/20180728/k00/00e/040/165000c

 津久井やまゆり園で「指筆談」によって重度障害当事者の意思を汲み取ろうとする職員が現れ、園内ではその取り組みに共感が広がっている、との内容であった。

 津久井やまゆり園の名誉のために記しておくと、『文春オンライン』を通じて津久井やまゆり園での「指筆談」の現状について質問したところ、「指筆談に取り組んでいた職員が退職したため、現在園内で指筆談は行われていない」との回答があった。経緯はどうあれ、現在津久井やまゆり園において指筆談が行われていないことは大変健全なことであり、筆者も深く安堵した。

 しかし、この記事を読んだ当時の私の第一印象は「とてつもなく危うい事態が起っている」というものだった。「指筆談」がそれくらいに問題含みのものだからである。

学会が「証拠がない」「非倫理的」と批判するFC

 前述の記事にある「指筆談」は、FCの手法のうちのひとつと言える。FCとは、介助者がコミュニケーションに障害を持つ人物の手・腕・肩などに触れ、一緒に言葉を綴っていく技法のことを指す。

この画像はイメージです ©iStock.com

 実は、FCは障害当事者から意思を汲み取る方法としては不適切であるというのが専門家の間では通説になっている。

 FCについての公式な声明・勧告をいくつか挙げると、アメリカ青少年児童心理学会は「複数の研究により、科学的に有効な手法でないことが繰り返し実証されている」としているほか、国際行動分析学会は「有益であることを実証する十分かつ客観的、科学的な根拠がないことから、使用は不当かつ非倫理的である」、アメリカ小児科学会障害者委員会は「有効でないことを示す、良質な科学的データが存在する」、日本児童青年精神医学会は「FCの有効性を示すエビデンスはほとんどなく、その有効性を否定するエビデンスが多く報告されている」など、概して否定的なスタンスを取っている(邦訳は「文春オンライン」編集部によるもの)。

 ここで、各学会の見解がFCを批判する根拠となっている研究とはどのようなものなのか、軽く紹介しておきたい。もちろん実際は、公平性・客観性を期すためにより複雑で厳密な実験であるが、それらの核となる考え方を単純化して表現すると、次のようになる。

注1……2002年に『NHKスペシャル』で放映され「内容に虚偽があるのでは」と疑義が呈された番組『奇跡の詩人』では、重度の脳障害を持つ少年がドーマン法の訓練に励みながらFCで執筆活動を行う様子が描かれた。