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source : 週刊文春デジタル

平手は「選抜にするならもうやりません」「秋元さんと話してくる」

「『21人で欅坂なんです。選抜にするなら私はもうやりません』。平手さんは今野さんを含めたスタッフたちに対してこう言い放ったのです。平手さんのこの発言で、場の空気は凍り付きました。泣いて喜んでいた“ひらがな”メンバーも何も言えなくなり、黙って下を向いていました。

 はじめはシーンとしていたのですが、徐々に平手さんの意見に賛同するメンバーが現れたのです。次々に『私もそう思います』『私も!』と声を上げた。スタッフたちは懸命に説得していましたが、なかなか話はまとまらなかった。最終的に決定打となったのは、平手さんの『秋元さんと話してくる』という一言でした」(同前)

平手友梨奈(2019年紅白リハーサル) ©文藝春秋

 あとになって、秋元氏から通達があり、結局、これまで通り、欅坂46メンバーだけで「風に吹かれても」をリリースすることで落ち着いたという。平手の意見が採用され、今野氏らの合同選抜のプランは幻と消えたわけだ。

「今野さんはきっと抱き合わせ販売で”ひらがな”も売ろうとしてくれていたのだと思いますが、完全にメンツ丸つぶれです。平手さんにしてみれば、大人たちの商業主義に反発したということなのでしょう。その”純血主義”は、結果的には欅坂21人の仲間を守ったのかも知れません。

 ただ、気になるのは、選抜から落選した8人のメンバーの中に、普段から平手さんを崇拝していたA子~E子の5人が含まれていたことです。5人の”平手派”メンバーはさらに結束を強め、その後、平手さんはさらに祭り上げられていきました」(同前)

 取材班はA子~E子5人を含めた落選組の実名も把握している。

長濱ねるデビューは秋元氏によるもうひとつの“特別扱いの物語”

 そして、この「合同選抜”拒絶”事件」は、結果として、もう1人の人気メンバーを失うきっかけとなる。当時、欅坂46とけやき坂46を兼任していた、長濱ねる(21)である。

長濱ねる写真集「ここから」

 長濱のデビューに至る経緯は、秋元氏によるもうひとつの”特別扱いの物語”といっても過言ではない。そもそも「けやき坂46」は、欅坂46のアンダーグループ(予備軍)として、長濱ねるのために2015年11月30日に立ち上げられた。というのも、長濱は欅坂46の1期生オーディションの最終審査を、母親の反対により棄権し、不合格となった。だが、本人の強い希望を受け、父親が運営側に相談した結果、特例で遅れて欅坂46に加入したという経緯があるからだ。