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追悼・野村克也 生前語っていた亡き妻への思い「沙知代は世界にただ一人しかおりません」

2020/02/11

 野村克也氏が2月11日、虚血性心不全により84歳で亡くなった。

 野村氏は1935年京都府生まれ。54年に南海ホークスに入団、65年には戦後初の三冠王を獲得した。70年には選手兼監督に就任、その後ロッテオリオンズ、西武ライオンズでのプレーを経て現役引退。引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任した。

“サッチー”の愛称で親しまれた妻・沙知代さんは、2017年12月8日に野村氏と同じ病で死去。何の前触れもなく倒れ、そのまま逝ってしまった突然の別れについて、野村氏が語った当時の記事を追悼ともに再掲載する。なお、記事中の年齢、日付、肩書などは掲載時のまま。

(出典:「文藝春秋」2018年4月号)

野村克也氏 ©文藝春秋

「あんなにあっけなく、人生の終わりを迎えるとは」

 ずっと闘病していて亡くなるのと、突然死と、どっちがいいだろうと思うんだ。心の準備って、全くできてなかったから。こんなあっけない、簡単な最期ってあるのかな。闘病生活に付き合うのも辛いだろうけど、どうなんだろうね、ああいう死なれ方……。

 隣の部屋でテレビを見ていたら、お手伝いさんが急いで来て「旦那さん、奥さんの様子がおかしい」って言うんですよ。すぐ行ってみたら、ダイニングの椅子に座ったまま頭をテーブルにつけた状態だった。肩を叩いて「大丈夫か?」って聞いたら、サッチーさんらしく最後まで強気な姿勢を崩さなかったね。「大丈夫よ!」と言った。だけど様子がおかしいから病院へ運ぼうと救急車を呼んだんだよ。

 本当に突然です。病気も一切したことなかったし、前の日まで元気だったから。あんなにあっけなく、人生の終わりを迎えるとは思わなかったな。まぁ、人間って誰でも最後は死ぬんだけど、その死に方だよね。どんな死に方がいいかなって、最近はそればっかり考えてる。

「俺より先に逝くなよ。ちゃんと見送ってからにせえよ」ってよく言ってたんだけど、守ってくれなかった。ちょうど去年ぐらいから、僕がそんな話をするようになって、嫌がられてたんです。奥さんは、いつも前向きな性格ですからね。

「何とかなるわよ」と「大丈夫よ」という言葉に、いつも助けられました。普段は軽く言うんだけど、あの日は強い語尾の「大丈夫よ!」だった。これはちょっと違うなって、もう察してたんじゃないかね。大丈夫じゃなかった……。

沙知代さんとの出会いは中華料理屋

 知り合ったのは昭和45(1970)年8月。後楽園の東映フライヤーズ戦の前で、南海ホークスの定宿から近い中華料理屋です。そこはふかひれラーメンが美味しくて、マネージャーと二人で食べてるところへ「ママー、お腹空いた」って言いながら入ってきたのが彼女。そのママから、「監督、いい人紹介してあげる」と引き合わされたのが最初でした。

 そのころ僕は、前の嫁さんの浮気を知って「出て行け」と言っても出て行かないもんで、自分が家を出て知り合いの世話になってました。南海の選手から兼任監督になって1年目で、チームも弱い。そんな最悪の精神状態のときに出会ったから、相性というより、タイミングとしてよかったんでしょう。