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サッチーに携帯電話を5個も折られて……野村克也さんが阿川佐和子さんに語った夫婦の話

特別掲載「阿川佐和子のこの人に会いたい」

 野村克也氏が2月11日、虚血性心不全により84歳で亡くなった。

 野村氏は1935年京都府生まれ。54年に南海ホークスに入団、65年には戦後初の三冠王を獲得した。70年には選手兼監督に就任、その後ロッテオリオンズ、西武ライオンズでのプレーを経て現役引退。引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。ヤクルトではチームを3度の日本一に導いている。

 昨年4月に「週刊文春」の名物連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場。妻・沙知代さんへの思い、家族の思い出などを語った対談記事を、追悼ともに再掲載する。なお、記事中の年齢、日付、肩書などは掲載時のまま。

(出典:「週刊文春」2019年4月25日号)

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 一昨年末に急逝した、妻・沙知代さんへの赤裸々な思いに加え、これまでの野球生活について綴った新著『ありがとうを言えなくて』を上梓した野村さん。数多くの“嘘”をつかれても愛しぬいた心境を語っていただきました。

野村克也氏 ©文藝春秋

阿川 このたび、新著『ありがとうを言えなくて』(講談社)を読ませていただきました。2017年の12月にお亡くなりになった、奥様の野村沙知代さんへの思いを中心に、監督の人生について、かなり赤裸々に綴ってらっしゃいましたね。どうしてこのタイミングで本をお出しになったんですか?

野村 怖い人がいなくなったせいもあるのかな。川上(哲治)さんや西本(幸雄)さんなど、この人のことは言えないな、って先輩がもういなくなった。気を遣わなきゃいけない人がゼロになったんです。

阿川 ああ、野球の世界の話ですね。おうちの中の怖い人って意味じゃなく。

野村 もちろん、夫婦においても奥さんの言いなりでしたよ(笑)。うちは典型的なかかあ天下。いまはもう私をリードしてくれる人はいないんだ。人間、やっぱり怖い人は、いたほうがいいですよ。

「僕はほんとに女性に縁がないんですよ」

阿川 ご本では、サッチーさんは急に亡くなられたとありましたが。

野村 ほんとにあっけない。具合が悪そうだなと思ってから5分くらいでした。最初は家のテーブルにおでこをつけて、じーっとしてたんです。僕は隣の部屋にいて、お手伝いさんが「ちょっと奥さんの様子がおかしいですよ」と教えてくれた。で、見に行って「大丈夫か?」と聞いたら「大丈夫よ」と返してくれたんです。

阿川 そのときはちゃんと返事をなさった。

野村 でも、それが最後の言葉になりました。これはちょっと普通じゃないと思って救急車を呼びましたが、担架に乗せたときはもう息がなかった。死因は虚血性心不全ということですが、それまでまったく健康状態に問題はなかった。まさに急死というほかありません。

福島県で開催されたトークショーにで、妻・沙知代さんとともに登壇した野村氏(2002年撮影) ©文藝春秋

阿川 お亡くなりになった瞬間、どう思われましたか?

野村 もうあっけにとられて言葉も出ませんでした。「俺一人で生きていかなきゃいかんのかな」と思ったら、急に寂しくなっちゃって……。僕は女性に縁がないんですかねえ?

阿川 どうされたんですか!? 縁は充分あったじゃないですか。

野村 先に死んじゃったらダメですよ。サッチーとは二度目の結婚なんですが、前の奥さんももう死んじゃって。おふくろももちろん亡くなってますし、ほんとに女性に縁がないですよ。

阿川 いや、誰だって死から逃れることはできないですよ……。

野村 死ぬゆうたって、タイミングがあるでしょう。みんな私より先に逝ってしまって、自分に疫病神でも憑いてるんじゃないかって疑いますよ。

阿川 そんなに自分を責めないでくださいませ……。