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連載昭和事件史

「笑えない時代」に人々が“兵隊落語”に大爆笑したのはなぜか

なぜ人々は「いびつな笑い」を求めたのか #2

2020/03/08

憲兵が私をジロッとにらんで……

「麻布の十番倶楽部という寄席に出たときでした。その近くは(歩兵第)一連隊があり三連隊がありの兵隊町でしたから、憲兵がウントコサいる。それで私が高座に出ると、憲兵がゾロリとニラミをきかせるためにやってくる。

 するてえと、お巡りさんも負けじとやってきて臨監席(劇場、寄席などで警官が監視する席)へゾロリ。お客さんはてえと、憲兵の顔が見えるものだから『兵隊、兵隊もの』と声をかける。ところが、私の兵隊落語てえものは、さきにお話しした兵隊劇をまとめたものですから、いろんなことを言います。一番最初から兵隊検査のところで、

「おい、山下、おまえは甲種合格だぞ」

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「えっ、合格? しまった」

「なに、しまった?」

「いえ、家の表のカギは締めてきたはずで…」

「……軍人になれてうれしかろう……」

「あーン、う、れ、し、い……」

「なんだ、おまえ、泣いとるのか?」

「はい、うれし泣きです……」

 てえところがあるんですが、そのたんびに憲兵が私をジロッとにらんじゃあ“こんちきしょう”てえ顔をする。お巡りさんの方はてえと、もし、なんとか言いやがったらてんで、憲兵の方をにらみつけている。そんなわけで、この両方がにらみ合ったまんま4日間も続いたから、お客さんはもう私の方を見ないで『兵隊、兵隊もの』と高座にどなっちゃあ後ろを向いて、そっちの方ばかり面白がっているじゃありませんか」(「泣き笑い五十年」)。

柳家金語楼の高座姿(「戦線みやげ」より)

「たった一人の落語家に警官と憲兵が4人付く」

 次の寄席へ行くと、憲兵がオートバイで追いかけ、警官も車で後をついてきたという。

 別の自著「あまたれ人生」は七五調でややニュアンスが違う。「憲兵隊から出頭せよとのお達しで、ビクビク顔で行ったらば、この節、兵隊落語や漫才を兵隊服でやってるが、けしからんのは呼び出して、聞けば、金語楼のをヒントにしてと皆言うので、当分は少し遠慮をしておくれ」。その後の憲兵と警官のにらみ合いの場面はほぼ同じで「時節時節と言いながら、たった一人の落語家に警と兵が4人付く」と書いている。

 この件については憲兵隊側の記録が見つからず、正確なことは分からない。ただ、憲兵の機関誌「軍事警察雑誌」の同年6月号の「雑録」にこんな記事が載っている。

「兵隊落語で有名な 柳家金語楼を訪ふ(う)の記」。筆者は「HY生」とあり、おそらく編集部の人間だろう。金語楼事務所の2階に招き上げられ、こんな会話を交わした。

「兵隊さん落語、すばらしい評判ですね。あれは師匠のご体験なんですか」「どこまでが体験で、どこまでが落語ということははっきりしませんが、私も軍隊生活をしましてね……」

 その後、金語楼は興味深いことを言う。