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2020/03/12

県庁勤めの菊地亮太が語った自分の変化

 この冬、3人の「金農戦士」に会いに行った。1人目は吉田とバッテリーを組んだ菊地亮太だ。亮太の行動でもっとも印象深かったのは、決勝戦の1回裏、先制点を奪われた場面だった。そのとき、監督の中泉がタイムを要求したのだが、それに気付いた亮太がベンチに向かって右手の平を掲げタイムを制止したのだ。

 そんなことしていいの? と聞いたら、当たり前のように返してきたものだ。

「まだ、初回なんで。こんなところで使ったら、もったいないじゃないですか」

 あの年の3年生は、監督の指示にただ従っているだけではなかった。

 亮太は今、秋田県庁で農林水産部職員として働いている。暖冬の影響で、秋田市内はほとんど雪がなかった。会うなり、亮太に両手で名刺を差し出され、ややたじろいだ。高校時代の彼らのイメージと、その行為がすぐには結びつかなかったからだ。

現在は秋田県庁に勤めながら地元クラブでプレー

 亮太は自分の変化をこう語る。

「県庁に勤めているという責任があるので、下手なことはできない。それに加えて、いつもあのときの金農のメンバーなんだっていう目でも見られるので、余計に下手なことはできない。二重で縛られてるような感覚がありますね」

 亮太、大友、斎藤の3人は、地元のクラブチーム・ゴールデンリバースに入団した。4年連続で全日本クラブ野球選手権に出場している強豪クラブチームだ。3人とも地元就職組でもある。チームのメンバーはそれぞれ別の仕事に就いているため、全体練習は土日しかない。物足りなく感じることはないのかと問うと亮太はクールに答えた。

「毎日やっていると飽きるんで、ちょうどいいです」

決勝で大阪桐蔭に負け、涙ぐむ「8番・捕手」菊地亮太(右)

吉田が地元へ帰って来ると「アッシーくん」に

 昨年6月12日、札幌ドームで吉田がプロデビューを果たした。亮太は斎藤を誘い、応援に駆け付けた。

「吉田、チケットくれなかったんです。それがショックで。たぶん、初めての一軍で、そういうのも、どうすればいいかわからなかったんだと思うんですけど。名前を呼ばれて、グラウンドに出てきたときは感動しましたね。鳥肌たったっス。あー、ほんとにプロになったんだって。登場曲、三代目(J Soul Brothers)の『MUGEN ROAD』でしたね。高校時代、ずっと聴いてたっスもんね。プロも楽しいって言ってましたね。プロでも緊張はしないって」

 亮太は吉田が地元へ帰って来ると、吉田の「アッシーくん」にさせられる。

「平日、学校で練習したいから俺に送れ、って言ってきて。前日、仕事が終わらなくて、深夜2時までやってたんです。それで次の日の午後、仕事を休んで、吉田のところに迎えに行ったんです。上司も『吉田のためなら行っていいよ』という感じなので。年末も迎えに行きましたよ。『朝7時に来て』っていうから行ったら『今起きた』って。さすが吉田です」