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2020/03/12

泊りがけの忘年会、締めくくりは「あの夏」の鑑賞会だった

 昨年の12月30日は、「6番・ファースト」の高橋佑輔の家で泊りがけの忘年会を開いた。所用がありこられなかった斎藤を除く8人が集結した。亮太が言う。

「みんな髪の毛が伸びて容姿は変わりましたけど、やることはバカなまんま。吉田はデビュー戦は勝ちましたけど、そのあとは勝てなかったんで、僕はプロのことはあんまり触れないようにしてました。でも、どっかの新聞に吉田が正月に秋田に帰ったとき、同級生に『おまえ、野球やってた?』ってイジられたって書いてありましたね」

 ありそうな話だ。彼らが互いに褒め合ってる姿を見たことがない。いつも、軽くけなし合っている。そこは相手が吉田でも遠慮しない。なのに一緒にいるとき、彼らは気持ち悪いくらい仲よさげに見えるのだ。

約2億9000万円の寄付が集まり後輩たちのために大型バス(約3000万円)を購入

 忘年会の締めくくりは、「あの夏」の鑑賞会だった。吉田のリードで、夜中から朝にかけ、秋田大会や甲子園の名シーンをみんなで振り返ったという。

 今、秋田県民はそわそわしている。5月19日に地元のこまちスタジアムで楽天-日本ハム戦が開催予定だからだ。亮太が言う。

「吉田が投げないわけにいかないですよね。みんな、待ってますから。県職員は先行販売があるんですけど、いろんな人に頼まれて、20枚も買いました。ただ、自分のぶんは買ってないです。吉田が今度はくれるって言ってたので、それを信じて待ってます。大友は興味ないって言ってましたね。チケットもらえたら行くけど、って。大友、そういうやつなんで」

佐々木は、相変わらず佐々木だった

 亮太の次に会ったのは、日本体育大に進んだ佐々木大夢(ひろむ)だった。9人の中では異色と言ってもいいしっかり者で、副キャプテンだった。ただ、試合のときは投手としての準備が忙しい吉田に代わってキャプテンを務めていた。

今は日体大野球部でプレー

 大学の最寄り駅でもある青葉台駅から徒歩数分の焼肉屋で待ち合わせをする予定だったのだが、直前に佐々木からメールが来て、駅まで迎えにきてくれることになった。駅で佐々木を探す必要はまったくなかった。改札でICカードをかざし、顔を上げると、そこに佐々木の顔があった。

「ご無沙汰しております」

 佐々木は、相変わらず佐々木だった。

 下級生のときの佐々木を知る人たちは、佐々木が甲子園で活躍する姿を信じられない思いで観ていたという。佐々木は入学直後から、体に小さな異変を感じ取っていた。中学時代までは足は速い方だったのに高校に入った途端に鈍足になり、秋口には階段の上り下りでさえ息切れするようになった。さすがにおかしいと思い、病院で検査をするとバセドウ病を患っていることがわかった。