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2020/03/25

俊夫さん以外全員異動……一人だけポツンと残された

 当時、俊夫さんの心の支えは、7月の人事異動で担当部署が変わることだった。そうすれば森友関連の苦行から逃れられる。直属上司の池田氏からは内々に「動かしてもらえるよ。大丈夫だよ」と言われたと、昌子さんに話していた。ところがふたを開けてみると、6月23日の内示の日、俊夫さんは異動しなかった。それどころか、同じ部署の他の職員は上司の池田氏も含め全員異動が決まり、彼だけがこの職場に残される形になったのである。

 しかもさらに追い打ちをかける出来事があった。問題の国有地の売買に関する資料がすべて処分されて職場から消えていたのだ。

「それがとにかくショックやった」と俊夫さんは話したという。昌子さんは語る。「むっちゃ落ち込んでました。一人だけポツンと残されて、資料はすべて処分されて……あんまりですよね」

自宅のPCに遺されたA4で7枚の「手記」

 もちろん、あんまりだ。俊夫さんは問題の国有地が売却された後に担当になったから、実際の売買交渉の経緯は何も知らない。知っているのは上司の池田氏だが、池田氏はいなくなり、資料はない。となったら、後を引き継いだ人間はどうすればいいのか?

 俊夫さんのメモには、内示の5日後、6月28日のところに「18:30特捜部来庁」とある。これが資料の任意提出を受けに来たのだとしたら、その直前に関係資料がなくなっていたことは、どうとらえたらいいのだろう?

俊夫さんをさらに追い詰めた検察の捜査

 この後、俊夫さんの精神状態は悪化する。7月15日に精神科を受診、うつ病と診断される。7月19日、夫婦一緒に外出先で昼ご飯を食べた時は、震えがすごく顔は真っ青だった。その時、俊夫さんは「森友のことだけやないんや」と気になる言葉を残している。そして翌20日から病気休暇に入る。結局、そのまま職場に戻ることはなかった。

 病気休暇に入って90日がたつと、その後は休職扱いとなり、給与が減る。俊夫さんはよくお金のことを心配していたという。「(職場に)戻れるかなあ。森友のとこじゃないとこに」と口にしていた。だが職場からは「問題事案の担当は外すが、部署は異動させない」と告げられたという。

 異動がなかったことに輪をかけて俊夫さんの心を乱したターニングポイントがある。検察の捜査だ。問題の国有地の値引きについて、この年の3月22日と7月13日に市民団体や弁護士らの団体から「国に損害を与えた背任だ」と告発が出ていた。同時に「取引記録は廃棄した」と繰り返し答弁する佐川氏らに対する証拠隠滅での告発も出て、いずれも大阪地検特捜部が捜査していた。