昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/04/02

阪神・淡路大震災をきっかけに持ち家を購入

 串カツ屋で向かい合って、その頃のことを平造さんに尋ねると、「男と一緒になって飛び出しよった」……すると横にいた惠子さんがすかさず「順序が逆よ。家を出てから男と一緒になったの」。実際は家を出てすぐ後のことだったようだ。

 実家を出て結婚し、まもなく娘が生まれた。それが火事で亡くなっためぐみさんだ。平造さんにとって初孫になる。孫と娘に帰ってきてほしい平造さんは、東住吉区の使っていない持ち家に住まないかと提案。惠子さんもその提案を受け入れた。

 その後、惠子さんは離婚し、内縁の夫となるBさんと出会う。東住吉の家を出て賃貸マンションで暮らすようになったが、1995年1月、阪神・淡路大震災でマンションの設備が被災し水が止まった。これを機に持ち家を購入しようと考えた惠子さんたちは、それまでの間、家賃の節約のため、平造さんに頼んで再び東住吉の家に住まわせてもらうことにした。

 ところが半年後、その家が火事になり、めぐみさんが亡くなった。そして1か月半後、刑事が平造さんの家にやって来て、娘を逮捕すると告げたのである。

冤罪で20年間を失った青木惠子さん(筆者提供)

「警察が言うたら信用する」娘の無実を信じられなかった両親

「娘が孫を殺した」という刑事の話を、平造さんは信じたのだろうか?

「そりゃあ警察の言うことやから。警察が『(娘が)殺した』と言いよってん。警察が『こうや』言うたら信用する。ほんとは間違いやったんやけど、来た刑事が知ってる奴やったからな。昔、仕事してる時に知ってるから信じたんや」

 刑事はさらに親身になって相談にのったという。

「ここ(自宅)におったらマスコミが来るから避難せえと。それで知り合いの家に4か月ほど避難しとった。娘の裁判が始まったら警察が毎回裁判所まで送り迎えしてくれたわ。警察の言うことを100%信じた」

 惠子さんがめぐみさんを殺したと信じた平造さんは、無実を訴える惠子さんに拘置所で面会して言った。

「正直にやったらやったと言え」

 その時、母の章子さんは平造さんの隣で黙って座っていたという。では惠子さんはどう感じていたのか?