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「わたしにも子供がいます」お迎えに遅れる母親に保育士が抗議……現場で起きていること

小倉千加子(評論家)――クローズアップ

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 昭和のアイドルを論じてベストセラーとなった『松田聖子論』から30年余。フェミニズム論壇の立役者は今、家業を継ぎ、大阪で認定こども園を運営している。

「両親は幼稚園を3つくらいやっていました。今世紀に入り、働くお母さんが増えてきて、0歳児から預かって欲しい、というニーズが高まり、父親が保育園もつくりました。高齢の親たちが心配なこともあり、教えていた大学を辞め、実家に戻っていた私は当時50代。仕事をしないのも嫌なので、最初、その保育園を手伝っていました。でも、保育園は“教育”が出来ないので、ちょっと物足りなかったんです(笑)。“私やっぱり、幼稚園がいいなあ”とボヤいたら、父が“じゃあ、つくるか”と言った(笑)。1階が0・1・2歳の保育園、2階が3・4・5歳の幼稚園、定員230名の大規模〈認定こども園〉の誕生です。平成23年創立で、9年経ちました」

小倉千加子さん

 7年ぶりの著書『草むらにハイヒール』(いそっぷ社)は平成20年から26年にかけての週刊誌連載を編んだもので、小倉さんが保育士の資格を取り園長になった時期に執筆された文章だ。人物論が中心であり、女優、力士、政治家と対象は多岐に渡るが、中島梓さんや佐野洋子さんなど、同時代を生きて逝った人々への優れた追悼文集とも読める。

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「中島さんは早稲田で1学年違いでしたが、向こうは文学部で私は教育学部、直接の交流はありませんでした。膵臓がんで亡くなってから絶筆『転移』を読み、吃驚したんです。専業主婦だったお母さんとの間に、凄まじい葛藤のあった人だった。それから夢中で彼女の評論を読みました。佐野さんとは麻雀の時に呼ばれる仲でしたが、おしゃべりに毒があって本当に面白いの。でも今回エッセイを読み返してみて、佐野さんが人生で一番必死だったのは、息子さんの保育園の4時のお迎えに遅れないよう走っていた時期だったと仰っていて、驚きました。昔の保育園のお迎えはこんなに早かったんだ、と」