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「アフターコロナ」社会はどうなる? 「ミニマリスト」から「プレッパー」の時代へ

2020/04/13

 アメリカでは新型コロナウィルス禍になって弾薬がものすごい勢いで売れているという驚くべきニュースがあった。向こうでは備える人という意味の「プレッパー」と呼ばれる人たちが何百万人もいて、自宅地下に核シェルターを設置したり、自給自足のための農場も用意し、家畜を飼ったりしているのだという。

写真はイメージです ©iStock.com

 2009年に映画にもなったコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』は、文明崩壊と気候変動で動植物も絶滅しつつある世界で、ひたすら南へと旅を続け生き抜こうとする父子を描いた切ないディストピア小説だった。旅の途中、偶然にも無人の家の地下核シェルターにたどり着き、食料がどっさりと備蓄されているのを見つけてほっとするシーンがある。この話に限らず、アメリカの映画や文学には(特にゾンビ映画には!)こういう備蓄している家が登場してくる。これこそがプレッパーなのだろう。

備えることで「安心感や自由感を得る」

 プレッパーについては、『“世界の終末”に備える「プレッパー」という人々を知っていますか』という記事が非常に詳しい。こういう記述がある。

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〈彼らにとっては、備えることこそが、恐怖に立ち向かい安心を得るための方法であり、自由に感じられるための方法なのだ。これは、同じ「安心感や自由感を得る」という目的で、3.11以降の日本ではどちらかというと「モノを減らして身軽になる」という断捨離やミニマリズムの動きが強かったのに対して、やや対照的なマキシマリズムの動きだとも考えられる。〉

 ミニマリズムとマキシマリズムという対置。これはとても重要な指摘だと感じる。コロナの時代に突入して、価値観は大きく変容していくかもしれないからだ。

 余計なモノを持たないミニマリストは、昔の生活への回帰ではなく、実はきわめてテクノロジードリブンな現代的生活である。情報通信テクノロジーが進化したからこそ何でもクラウドで済むようになり、スマホで写真も映像も音楽もコミュニケーションも楽しめるようになった。