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「毎日通勤する必要はなかった……」日本人の働き方はもう“テレワーク以前”には戻れない

人事評価にも大きな“変革”が訪れている

2020/04/21
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 4月7日、東京都をはじめとする7都府県に緊急事態宣言が発令され、16日には対象地域が全国に拡大。新型コロナウイルスとの闘いはいよいよ正念場を迎えた。ここで多くの企業にとって突然降りかかってきたのが、テレワークによる業務の推進である。

 宣言を出した国側はいとも簡単に、多くの勤労者に自宅に居てテレワークを行うよう「要請」したが、厚生労働省などの調査では実際にテレワークに移行した会社や社員の数はまだ限られているようだ。だがこのテレワーク、多くの人が思っている以上に世の中を変える力を持っていそうなのである。

社内のコミュニケーションはそれなりにできるが……

 ひとくちにテレワークといっても仕事上でのコミュニケーションの仕方は様々だ。社内で仕事の進捗を確認するために上司が部下に指導するものもあれば、社員同士で互いの業務の進め具合を確認しあうもの、数人から十数人が一緒になって行う会議形式のものなど、会社内だけをとってもコミュニケーション方法はいろいろだ。  

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 同じ会社内であれば、互いの素性がある程度頭に入っているので、初めのうちは多少慣れないところがあっても、何度かやりとりを続けていくうちにスムーズに進行するようになるものだ。

 ところがこれが社外のお客様とのミーティングになると少々勝手が違ってくる。先日私の会社で取引先に対して、ある事業計画のプレゼンテーションを行うことになり、昨今の情勢をふまえてweb会議を行うことになった。先方の会社は全員がテレワークになっているし、私の会社も担当者数名はすべてテレワークで基本的には自宅からの参加だった。

相手の空気が読めず、妙な間が生まれる

 パソコン上にプレゼン資料を示しながら計画内容の説明に入る。私自身は年間で数十回の講演も行っているので、プレゼンテーションには多少の自信がある。持ち時間に気を配りながら計画の意義や概要などを淀みなく説明するのだが、説明の途中でなんだかいつもと様子が違うことに気づかされた。私が向かっているのはパソコン上に映し出された画面だけ。相手の空気が読めないのだ。

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 普通、現場で相対して説明を行うときは、ちょっとした間をとって相手の反応を窺ったり、説明しづらい場面では冗談を言って場の空気を和ませたり、相手が退屈していると感じればエピソードを交えたりして場を整えていくことができる。ところがどこまでいっても、パソコンから先は相変わらず静かでとりとめがない「無」の世界なのだ。

 次第に自分の説明が冗長でつまらないものに思えてきて、なんだか効果がいまいちわからないまま説明を終えた。司会をつとめる自社の社員も普通であれば私のわきに座っているはずだから、プレゼンが終了したときにはちょっと目配せすれば、会はどんどん進行していくのだが、パソコンでつながっているだけでは「あ、うん」の呼吸が通じない。私のプレゼンは終わったというのになんだかシーンとした妙な間ができてしまう。