『しあわせの保護色』(乃木坂46)/『ポップミュージック』(Juice=Juice)
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乃木坂46の新曲に思うことをコトバにすれば「収斂」となるのであろうか? その中心にあるものが秋元康なのは確かなのだとして、では秋元康(の心)はどこに向かっているのか。
『しあわせの保護色』には、どこかしら懐かしさを覚えた。メロディライン、音の作り。いわゆるjpopというジャンルの確立される少し前にラジオから流れてきたような“ヒットポップス達”の片鱗みたいなものが、作品のなかに上手く組み込まれているのだが、元ネタが思い出せそうで思い出せない。ま、それがちょいシャクではあるのだけれど仕方ない、気を取り直して……。
このあいだ、アイドル全般に“既聴感”のある新曲が増えてきたと書いた。そうした現象もAKB関連の動向と決して無関係な話ではない筈だ。収斂といったのも、ひとつはつまりそのことだ。
やはりアイドルの業界に於いて、秋元康の“指針”が全体に与える影響は、決して小さくはないだろう。『しあわせの保護色』が“お手本”として、ヒット作りの参考にされていくのは間違いあるまい。
この曲でまず感じるのは、ビートやリズムといったパラメータからは、面白み/独自性などといった動きのほとんど見出せないことで、いっとき、アイドルといえば、ダンスミュージック的な味付けは一種不可欠だったことを思えば、これは大変興味深い。
秋元康が、いわゆるクラブであるとかDJであるといった“タグ”には見切りをつけた? のかどうかはわからないが、注目すべきは――そういった意味で――サウンド傾向は穏やかなものになる一方、振り付けではなんとも“尖った姿”をみせてくれる点だ。
動画が始まって30秒程経ったところである。リードボーカルの人が、
♪探し物はどこにあるのだろう?/いつの日にか 置き忘れたもの
といった歌詞内容とは、まずまったく関係ない、チアリーダーのような動きというか、不思議な“仕草”を突発的に始めたのである。
これには本当に意表を突かれた。そこからついつい最後まで映像を見入るハメになってしまった。優しい音と鋭角的な踊りのコントラストが、何か新鮮な刺激をもたらしてくれたのである。この冒頭の部分など“モダンなアート”として鑑賞/評価するのにふさわしい部類の表現なのかもしれないとさえ思った。
私はずーっとアイドルというものを、いわば歌手といった観点で眺めてきたものだが、この映像を見て、彼女たちの未来はむしろ“舞踏”の領域に収斂していく可能性もあるなと。そんな予感を持ったのだが、果たしてどうだろう?
ところで、全然関係ないが、この先、秋元康の歌詞に、今のコロナ騒動の反映がなんらかのカタチで検出されるようになるのは、いつ頃のことなのか。気になるところである。
Juice=Juice。
こちらも懐かしさ満載。元ネタの消化はなかなかのもの。
今週の旬彩「この時期、竹の子が旬だよね。風が吹けば桶屋が儲かるじゃないけれど、今年は豊作に加えて料亭や居酒屋の時節柄の自粛もあって、スーパーでもナマの竹の子がだいぶ安くなっているじゃないの。オレ竹の子が大好きでさ。今日もいまから茹でるつもりだよ」と近田春夫氏。「好きな料理はバター炒め、竹の子ご飯も美味しいよね」
ちかだはるお/1951年東京都生まれ。ミュージシャン。現在、バンド「活躍中」や、DJのOMBとのユニット「LUNASUN」で活動中。近著に『考えるヒット テーマはジャニーズ』(スモール出版)。近作にソロアルバム『超冗談だから』、ベストアルバム『近田春夫ベスト~世界で一番いけない男』(ともにビクター)がある。
