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「よい子」と名付けられて……

 その後、同棲していた部屋の合鍵を使って乗り込んできた中野のスタッフからも中絶を強要され、身の危険を感じた母親はシェルター施設に身を隠して出産した。出生届に父の名を書いてもらうため、中野に書類を送ると、返ってきた子供の名前の欄には、ボールペンで「よい子」という文字が書きこまれていた。

「爆風スランプのファーストアルバムの『よい』から取ったそうです。大人になって困るから、せめて『より子』にできないかと母が言うと、父は『大人になって困るというのなら、ウメやマツならいいのか!』とキレたのです。提出期限が迫っていたこともあり、私はそのまま、『よい子』と名付けられました」

 中野よい子。その名前は中野による結婚発表のときにも公表された。

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「家にお父さんがいないと言っちゃダメだよ」

「名前については周囲から何度もからかわれて苦痛しかなかった。今でも覚えているのは、大学受験のとき、机に置いた受験票を見た教員に『フン』と鼻で笑われたことです。大学生になり、今の名前に改名しました」

 亜希さんの出産をきっかけに両親の確執は深まり、入籍後も中野が母娘と暮らすことはなかった。

「たまに私に会いに来ていたようです。母からは『家にお父さんがいないと言っちゃダメだよ』と釘を刺されていました」

 小2の時に両親は離婚。慰謝料と財産分与はなく、中野は入籍したときから家庭に入れていた生活費40万円と家賃を負担する約束になっていたが、離婚3年目頃からその額は減り、ついには途絶えたという。

「段々と家が困窮していくのを感じました。小5くらいから、母に物をねだると、すごい剣幕で怒られるようになりました。中3くらいのときに、プレイステーションのメモリーカードが勝手に売り払われていたこともあった。母が仕事に出かけたときに、1人で夕飯を食べようにも食べ物がないということもありました。

 しかし母は、父が私の養育費を払っていないことをずっと隠していました。それを知ったのは04年、高3で受験を迎えたときです。母はお金のことをきちんとしてくれと父に訴えて、父の知人の第三者を間に立てて協議を行いました。その人に母が説明するため、2人の経緯をまとめた書類が家に置かれていたのを偶然見てしまい、中絶の強要があったことを知ったのです。私はアイデンティティが崩壊し、自分を汚らわしいと感じるようになりました」