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新型コロナによる74歳の死 “生涯外交官”岡本行夫が誓った「敵討ち」

石原慎太郎氏から後任都知事を打診されたことも ©文藝春秋

 外交評論家の岡本行夫氏が亡くなった。働き盛りの40代で外務省を辞し、米国型の個人事務所を設立。米軍普天間基地の返還問題やイラクへの自衛隊派遣など、重要な外交政策の決定と遂行に深く関与した異色の“生涯外交官”だった。

 湘南育ちの岡本氏は県立湘南高校から一橋大学経済学部を出て1968年、外務省に入省。ワシントン駐在や安全保障課長など米国関連の勤務が多く、「外務省にオカモトあり」とアメリカにもその名は響いていた。

 転機は外務省でも超エリートが選抜される北米一課長時代。「現場で生きたい。最後は大使になって、大過なく退官していく自分の姿は想像できない」と役所を飛び出し、友人たちと「岡本アソシエイツ」を設立したのは91年のことだった。

 モデルとしたのは盟友、アーミテージ元米国務副長官がつくっていた「アーミテージ・アソシエイツ」。岡本氏もロビイング(陳情)とポリシー・メイキング(政策立案)の両方を兼ね備えたような個人事務所を志向したが、発足当初は資金面などでも苦労があった。

 岡本氏が大車輪の活躍をしたのはその後の二度にわたる首相補佐官時代だ。最初は96年に発足した橋本龍太郎内閣で、岡本氏は沖縄問題を担当。米軍普天間基地の返還で橋本氏と当時のクリントン政権が合意した直後でもあり、岡本氏は沖縄へ何度も飛び、現地の人々と泡盛を酌み交わし、各地を駆けずり回った。ステレオタイプな官僚像とは違う姿が、そこにはあった。