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「君は誰だ!」「あんなのはメモだ!」

「箕輪さんと合流して少し立ち話をしながら待っていると見城さんがやってきました。そして見城さんの車に乗り込もうとすると『君は誰だ! なんで乗ってくるんだ!』と怒鳴られたのです。私が松浦さんの本のライターであることを箕輪さんが説明してくれたのですが、見城さんは『あんなのはメモだ!』と一言吐き捨てて、私と箕輪さんを置いて車で走り去ってしまいました」

 箕輪氏とA子さんは2人で食事に行くことになった。

「店に向かおうとしたところで、箕輪さんの携帯電話が鳴りました。相手は見城さんだったようで、箕輪さんは『俺、見城さんのところに行ってくる』とどこかへ行ってしまいました。私は呆然とその場に立ち尽くしました」

「本は出版されず、罵倒されて終わりました」

 見城氏の態度について、A子さんは箕輪氏に抗議のメッセージを送っている。それに対して箕輪氏からはこう返信があった。

箕輪《見城さんの言い方は傷ついたと思うし、俺もショックだったし、見城さんの見方が全部正しいわけじゃないけど、本って色んな人の目を通って初めて世に出るもので、適当な本ではなくて松浦さんの書下ろしだからここまで慎重になってるんだと思うんだよね。だからここまで大丈夫だと思って進めてきた俺の責任だし、すごい自信を持って見城さんに見せたんだけど、見城さんのジャッジもそれを聞くと、たしかにそうだなって俺も思っちゃったんだよね。お前が全部悪いって言われたし》(箕輪氏・A子さんのFacebookメッセンジャーより)

箕輪《結局、出す出さないを決めるのは見城さん》(箕輪氏・A子さんのFacebookメッセンジャーより)

 A子さんは悔しそうにこう続けた。

「私の原稿が未熟だったということもあると思いますが、あまりに酷い仕打ちに怒りと悲しみが収まりませんでした。それまでの2カ月間、忙しい松浦さんのスケジュールに合わせて取材し、昼夜問わず原稿を書き続けてきました。2016年12月を機に連載など、定期的な収入になる仕事もすべて断り、新規の仕事もほとんど受けていません。

『ライターとして力尽きた』『今度バイトの面接に行くんです』と箕輪さんに弱音を吐いたときには『大丈夫! 俺も見城さんの本(箕輪氏が双葉社在籍時代に担当した見城氏の書籍「たった一人の熱狂」)の時、他の全ての仕事捨てたから!』と励まされたので、貯金を切り崩しながら生活しました。でも結局、本は出版されず、罵倒されて終わりました」

松浦氏から出版取り止めの要求が出た後も、箕輪氏とA子さんは「本を松浦さんへのプレゼントだと思って最後まで仕上げよう」と原稿の推敲を重ねた。箕輪氏からのメッセージには「俺では判断できないから、会社で話してみるね!」とあるが、それ以降、A子さんに幻冬舎から連絡がくることはなかった

依頼されたにもかかわらず「原稿料が出なかった」

 それでも幻冬舎の依頼で2カ月間以上拘束され、原稿を書き上げたからには「最低限の原稿料と必要経費の支払いはあるだろうと思っていた」という。しかし幻冬舎からは一向に労働対価についての連絡がこず、A子さんは耐えかねて箕輪氏に連絡をした。

「原稿料はいつ支払われるのかと聞くと、箕輪さんからは『見城さんに見せて最終判断になるって話を最初から最後まで2人でしていたから原稿料は出ない』と言われました。いままでのやりとりを見ていただければわかると思うのですが、取材執筆は出版前提で進んでいた話です。それにこの話は私が箕輪さんに持ち込んだのではなく、箕輪さんから依頼を受けてスタートした。そう指摘すると『俺では判断できないから、会社で話してみる』と言われ、そこからはギャラについて無視を決め込まれています」

箕輪氏とのメッセージ。「見城さんに見せてから最終判断」