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30年前のあの日から……広島カープの18を背負った男・佐々岡真司とともに進もう

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/06/19
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 2020年6月19日。決して当たり前じゃないことが分かった「開幕」を迎えた今日、僕らのカープが「優勝」を目指す旅路を歩き始めました。本来ならば開幕ダッシュをしていたでしょう。鯉のぼりが舞う春を盛り上げていたでしょう。首位を独走していたでしょう。待ってました。ずっとこの時を待ってました。いま書いたこと、少し遅くなったけど、これから始めようではありませんか。

 さて。そんなチームを率いるのは、広島東洋カープ第19代監督の佐々岡真司。ここ数年でカープファンになった人にとっては「足を引きずりながらグランドに出てくるお腹の出た釣り好きおじさん」にしか見えないかもしれませんが、彼は入団から引退まで背番号18を背負い続け、通算138勝106セーブという成績を残したカープの名選手でした。100勝と100セーブ。どちらも簡単なことではありません。しかし、佐々岡はその両方を達成しているのです。長きに渡る日本プロ野球界の中でも、100勝100セーブを達成したのは佐々岡を含むわずか6人。球史に残る成績であることは一目瞭然ですよね。

1990年日本シリーズでの佐々岡真司 ©文藝春秋

鮮烈デビューを飾ったルーキー時代の佐々岡

 いまから30年前の1990年4月12日。ドラフト1位ルーキーの佐々岡は鮮烈なデビューを飾りました。横浜大洋ホエールズ(現DeNA)戦に先発として登板。チーム、本人、ファンが願うのは当然「プロ入り初勝利」でしたが、なんと佐々岡は初勝利どころか「初完投」まで成し遂げたのです。伸びのあるストレート、一級品のスライダー、社会人卒の即戦力ルーキーの力投。当時まだ高校生、ただの若者だった自分も「コイツはエエで!」と、分かった風な顔をして太鼓判を押しました。

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 しかし、その次の先発登板となった中日戦で佐々岡はプロの洗礼を浴びます。最終回、3点リードから同点に追いつかれると、延長11回、今度は先頭打者にサヨナラホームランを打たれて敗北。普通ならここで「前回の投球はどこ行ったんじゃ!」となりそうなものですが、この試合をご存知ない方、もう一度よく読み直してください。3点リードの最終回に打たれて同点になって延長11回にホームランを打たれて敗北。そうです。試合にこそ負けましたが、この日も佐々岡は試合開始から試合終了まで、ひとりで投げ切ったのです。その球数、じつに「172球」。いまのように球数制限が無く「行けるとこまで行け」という時代ではありましたが、まるで高校球児のような球数です。負け試合、2戦目のルーキーにそこまで投げさせるのはどうなんだろうという心配より、正直、それに従って投げ切った佐々岡のスゴさの方が際立っていました。初登板と2度目の登板。内容こそ違えど、やはり「コイツはエエで!」と言わざるを得なかったのです。

 こうなるともう「典型的な先発完投型」の道を突き進むことになると誰もが思います。しかしルーキーイヤーの佐々岡は、チーム事情もあって途中からリリーフに転向。北別府〜佐々岡というリレーを確立し、違う役割でチームに貢献。翌年から先発に専念することにはなりますが、いま思うと佐々岡は、エースナンバーを背負ったルーキー時代から「チームの方針に合わせた場所で投げる」という体質を自然に身につけていったように思います。そしてその証拠が、やはり138勝106セーブという成績なのではないかと。

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