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文春野球コラム

ルーキー(新入生)をどう生かすか いまベンチ(教員)の能力が問われている

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/06/28
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「先生、私、オンラインの会議ってはじめてなので心配なんです」

 事務職員の一人にそう言われてはじめて気が付いた。新型コロナウイルスの蔓延が本格化してから約4か月。当初は「新たな状況」であった筈の状況は、少しずつ我々の「当たり前の日常」になりつつある。当然の事ながら、それは大学でも同じである。筆者の所属先で授業がオンラインの形で開始されたのは、大型連休明けの5月7日。当初は恐る恐る行っていたオンライン授業も、僅か2か月足らずの間にすっかり当たり前のものになっている。

以前から在籍する学生と新入生との経験の違いが齎す問題

 とはいえ、それは「新たな状況」に慣れてしまった者の言い分にしか過ぎない。例えば大学では教員は、授業の度にZoomやWebex等のツールを使い、毎日の様に「ミーティング」を主催しているから、既に「オンライン漬け」の毎日を何とも思わなくなっている。しかし、大学でも全ての人がそうである訳ではない。事務職員の多くは自ら「ミーティング」を主催する事は滅多になく、況してや書類や資料を「共有」して何かしらを発表する機会は少ない。そもそも事務職員の多くは、職場から自宅に持ち帰る事の出来るノートパソコンを支給されている訳でもなければ、予算等を扱う仕事ではセキュリティ上、家で出来ることも限られている。そしてその様な困難な状況の中、彼らは踏ん張って「古い状況」に留まりながら、我々の仕事を支えてくれているのである。

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 大学という同じ場所に属しながらも、少しずつ異なる状況に置かれているのは学生たちも同じである。筆者の主として担当するのは大学院の授業であり、必然的に参加する学生の数は、学部より大きく限られる。だからこそ、そこに参加する大学院生たちの多くは教員とは勿論、学生たち相互も既知の関係にあり、本来なら歯がゆい筈のディスプレイ越しのコミュニケーションですら、時にやすやすと乗り越えてくれる。そこには彼らがこれまでの大学生活で培ってきた相互の信頼関係と経験があり、彼らはそれを利用して、筆者の様な至らない教員の足りない部分を互いに補い、困難な状況に対応してくれる。

 しかし、それは飽くまで新型コロナウイルスの蔓延以前から大学院に在籍し、そこでどうやって学び、どの様に日々を過ごせばよいのかを熟知している学生たちの話である。当然の事ながら、状況は今年の4月に入学した新入生たちにとっては同じではない。彼らの多くは、今日までキャンパスの中に足を踏み入れる事すらできず、研究室や図書館をどう使えば良いのかすら、経験する事ができていない。一言で言えば、彼らは大学や大学院でどうやって過ごし、誰にアドバイスを求めればいいのかわからないままにいる。そしてこの様な以前から在籍する学生と今年の新入生との経験の違いが齎す問題は、授業においてこそ更に深刻なものとなる。

 以前から大学院に在籍し、交流を培ってきた学生たちにとっては、たとえZoomやWebexの画面に映っているのが名前やイニシャルだけであろうと(学生が自分の側の動画を切ればそういう表示になる)、ディスプレイの向こう側に座っている友人や先輩の姿を容易にイメージできる。だからこそ彼らは時に、授業中に互いに意見を交し合い、また教員がオンラインでの授業を終えた後、互いに回線をつなぎ、勉強やプライベートに関する ― 時に他愛なくも、しかし貴重な ― 意見交換をする事が出来る。彼らはそうして困難な状況の中にある自らの不運を嘆き合い、しかし同じ労苦を共にする仲間がいる事を確認して、また新たな一日へと歩む事になる。

 しかし、これまでに互いに交流を持った事の無い新入生にとっては、画面に映る他の学生の名前やイニシャルは唯の記号でしかなく、しかもその繋がりさえ、教員が授業を終え、「ミーティング」を閉じた瞬間、否応なしに切断される。オフラインの授業なら、授業終了後、一言声をかけてくれるかもしれない先輩や友人の姿はそこになく、彼らは一人、下宿や自宅の一室に静寂の中、ぽつんと取り残される事になる。そう、我々が誰しも「新たな状況」に懸命に適応しようとしている中、彼等「ルーキー」達は、「ベテラン」よりも遥かに孤独で、助けを必要とする状況に直面しているのである。

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