『夜に駆ける』(YOASOBI)/『紅蓮華』(LiSA)
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我が国では今ひとつ伸びぬ、といわれ続けてきたサブスクリプションだが、背景には、仕組みなどがイマイチ理解しづらい/分かりやすい説明がなされてこなかったという現実は、たしかにあったと思う。それってストリーミングと意味は一緒なのよね? とか。いやホントよマジな話。殊に高齢者になればなるほど、チンプンカンプンなことは請け合い(私がいい例だ)だ。
サブスクてぇのは、結局俺のような“小規模音楽家”にとっても、ありがたいシステムなのだろうか? 個人的に一番知りたいのはそこなのだが、業界の知り合いの人たちに尋ね回っても、あんまり色よい返事は返ってこないし。
なんとなく理解しているのは、それがCDのように“物理的に固定化された商品”ではなく、あくまで“データでしか存在しない音源”の商売らしい、ということである。
別の視点から申せば、カーシェアリングみたいなものだろうか。サブスクでは、楽曲は、借りているだけで、多分所有は出来ないのだと思う。
とかなんとかいいつつ、今週も先々週の『香水』に引き続き“配信もの”であります。
非パッケージ商品がチャート上位に占める割合が加速度的に増えつつある気配は、ひしひしと実感せざるを得まい。
『夜に駆ける』を聴いてまず思ったのが、そこにはどことなく、件の『香水』と似た匂いの感じられたことだった。
ちなみに、YOASOBIは、小説を音楽化するという、レコード会社のアイデア/企画によって組まれたユニットのようで、『夜に駆ける』は、星野舞夜の『タナトスの誘惑』を原作として書かれた作品なのだそうだが、それでふと閃いた/思ったのが、この楽曲の製造工程のことなのだった。
昨今のjpopでは、メロディに歌詞を乗せていくというのが、まぁ常道の手順といっていいだろう。では今回のように小説を原作とするといった前提の場合は、どうなのか。原作者の手前、ストーリー展開は無視出来まい。“イメージソング”では嫌がる作家もいること想像に難くないからで、これはひょっとして――jpopには珍しく――歌詞が先に書かれた! なんてことも無きにしもあらずなのでは。
そこで(アタマのなかで歌詞をミュートし)、メロディを口ずさんでみると、フレーズの終わり部分など、先ずコトバ(日本語)があってそこに音をあてがってゆくのでなければ――作曲術的にいって――なかなか生まれにくい譜割の箇所もたしかに散見/確認されるのである。『夜に駆ける』が、いわゆる“詞先”であった可能性は高いかも。
その辺りはあくまで個人的見解にせよ、先の話に戻れば、この、日本語歌詞の妙に耳に残る――一種の字余り感のあるがゆえ――作風なところが『香水』を思い起こさせたのだな、というお話で、めでたし一件落着とはあいなった次第であります、ハイ。
LiSA。
ジャケ写の“媚びた表情”のつけ方が古典的でいいです。
今週のコロナ余波「毎年この季節になると楽しみにしていたのが地元のプール開き。今時の都市部では珍しくなった屋外式のプールでさ、梅雨明けのまだ冷たい水に浸かると、今年もこのプールに入れたっていう喜びをじんわり感じていたんだよね。ところが今年は、神奈川県は一切プール開かないっていうじゃん!」と近田春夫氏。「打ちのめされてます」
ちかだはるお/1951年東京都生まれ。ミュージシャン。現在、バンド「活躍中」や、DJのOMBとのユニット「LUNASUN」で活動中。近著に『考えるヒット テーマはジャニーズ』(スモール出版)。近作にソロアルバム『超冗談だから』、ベストアルバム『近田春夫ベスト~世界で一番いけない男』(ともにビクター)がある。
