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「だよねー」「そやなー」25年前、日本ヒップホップ初100万枚「DA.YO.NE」ブームとは何だったのか?

「だよねー」「そやなー」25年前、日本ヒップホップ初100万枚「DA.YO.NE」ブームとは何だったのか?

博多華丸もサンド伊達の妻も熱唱していた方言バージョン

2020/06/21
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 1994年から翌年にかけて、日本のヒップホップシーンから初めて本格的なヒット曲が生まれた。それはまず、1994年3月にリリースされたスチャダラパーと小沢健二による「今夜はブギー・バック」であり、そして同年8月リリースのEAST END×YURIの「DA.YO.NE」である。いずれの曲も、ヒップホップグループと出身ジャンルの異なる者によるコラボレーションであり、また、いきなり売れたわけではなく、地方のFM局などでかかるうち、じわじわと人気に火がついた点でも共通する。「DA.YO.NE」にいたっては、もともとインディーズのレコード会社(ファイルレコード)から出した企画物のミニアルバム『denim-ed soul』(1994年6月発売)収録の1曲にすぎなかった。

「『だよね』は売れそうだね」「おっ、だよね」

 EAST END×YURIは、ヒップホップグループ・EAST ENDと、アイドルグループ・東京パフォーマンスドール(TPD)のメンバーだった市井由理によるユニットである。EAST ENDは1990年、GAKU-MC・ROCK-Tee・YOGGYの3人により結成された。市井とは所属事務所の関係から親しくなった彼らは、1994年1月、TPDのライブで20分ほどのラップコーナーにゲスト出演する。それを観ていたファイルレコード社長の佐藤善雄の「おまえら良いから、コレやれよ」という一言をきっかけに、EAST END×YURIが誕生した(※1。市井は同年9月にTPDを卒業)。

EAST END×YURIのYURI(左)とGAKU-MC

 ラッツ&スターのメンバーでもある佐藤が設立したファイルレコードは、それまでにも多くのヒップホップアーティストの作品を世に送り出していたが、セールス的にはあまり芳しくなかった。何しろ日本語ラップはウケないと言われていた時代である。ファイル側は、EAST END×YURIの結成にあたり、これで売れなければ、ほかのアーティストからも手を引くつもりだったらしい。YOGGYによれば、《それ聞いて、『やらなきゃ』って思って。そこで今まで自分で思ってたものを否定する……否定まではいかないけど、すげえ普通の人に分かるようなものを作ろうって思って出来たのが〈DA.YO.NE〉だった》という(※2)。

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 作詞したのはGAKU-MCと、EAST ENDとは同じヒップホップコミュニティ「FUNKY GRAMMAR UNIT」に所属する仲間だったRHYMESTERのMummy-D。サビには自分たちが普段使っている言葉を持ってこようと考え、最初は「なんだ、そりゃ」にしようと言っていたのが、《でも、「『なんだ、そりゃ』はちょっとなあ」「どうかな」「売れないでしょう」「だよね」(笑)「『だよね』は売れそうだね」「おっ、だよね」って感じで》決まったとか(※3)。

1994年8月にシングルカットされたEAST END×YURI『DA.YO.NE』

北海道でブレイクからの「オリコン7位」

 ミニアルバムのリリースから2カ月後には、メジャーレーベルのEPICソニー(現エピックレコードジャパン)よりシングルカットされた「DA.YO.NE」だが、オリコンの週間シングルランキングでは初登場94位だった。