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日本では「35歳までに子育てを始める」のがあまりに難しすぎる

と同時に子どもはかつてないほど大切にされなければならなくなり、虐待やネグレクトは忌むべきものとなった。体罰が否定されるのはもちろん、日に日に高まっていく社会全体の敏感さに抵触しない子育てを成功させなければ、社会から親として不適格とみなされるおそれがある。そうした通念や習慣をどこまでも内面化している親たちは、子育てに瑕疵があれば罪悪感や劣等感に苛まれることになる。

地域共同体が子育てのリソースとしてあてにならなくなり、子育てに関するあらゆるモノやサービスが金銭で贖われなければならなくなったことによって、狭義の教育はもちろん、現代人にとって必要不可欠な通念や習慣すら、親自身が教えるかインストラクターにお金を払うかしなければ子どもは身に付けられなくなった。上昇志向のブルジョワ的な通念や慣習をよく内面化した現代人にとって、子どもが何も身に付けられないまま年齢を重ねていくなど容認できるものではないから、お金がなければ子育ては成立しないし、始めるべきでもない。

日本で最も子育てが始まらない街「東京」

現代社会の通念や習慣が徹底している模範例として、本書ではたびたび東京をピックアップしているが、その東京の合計特殊出生率は1.21(2017年)である。日本で最も子育てが始まらない街と言っても差し支えないだろう。東京のベッドタウンである神奈川県や埼玉県、千葉県の合計特殊出生率も、日本のなかでは際立って低い水準をマークしている。

最も秩序の行き届いた東京とその周辺が、最も子どもが生まれ育たない街であることが、私には偶然とは思えない。

東京やその周辺で子育てが始まらない背景のひとつとして、子どもが保育施設に入所できない待機児童問題がある。もちろんそうではあるのだが、待機児童問題が起こっているのは0~2歳の低年齢児である。

昭和時代であれば地域共同体のなかで子守りされ、母親が授乳していたであろう年齢の子どもが待機児童としてクローズアップされているということは、子どもがごく幼い段階から母親も働かなければならなくなったこと、地縁や血縁があてにならなくなっていること、子育てがその最初期から資本主義や社会契約のロジックに組み込まれていることを示唆している。そのことに東京の人々も日本の人々も、もう疑問や違和感を覚えることはない。なぜならそれは資本主義や社会契約のロジックの浸透と徹底という、20世紀から21世紀にかけて日本社会全体で起こった変化に沿ったものだからだ。