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育児疲れで「10年で一番の不調」だった女流棋士の私が復活するまで

育児疲れで「10年で一番の不調」だった女流棋士の私が復活するまで

この夏、タイトル戦の舞台で里見香奈清麗に挑む

2020/07/03

 この度、文春オンラインにて月に1回コラムを載せていただくことになりました。女流棋士の上田初美です。昨年初めより個人でnoteを更新しているのですが、その延長のような内容でいいとのことでお引き受けしました。いつまで続けるという区切りはまだ設定されていないのですが、アクセス数が少なかったら打ち切りとかになるかな?(笑)

 何はともあれ緩い感じで更新していくと思いますので、同じく緩くお付き合いいただければ幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

 さて、初回ですので私自身のことを少し話したいと思います。

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 5歳で将棋を始め、7歳で当時の女流棋士育成機関であった女流育成会に入会しました。2001年に女流2級としてデビュー。12歳の中学1年生でした。当時は見た目も性格も男の子。将棋を指す女の子は今よりもずっと少なく、自分以外が全員男の子という状況に自然に溶け込めない女の子はなかなか強くなりにくい環境でした。

2012年、2回目の女王就位式にて

何をして生きていくのか、自分で考えて決めよう

 女流棋士になった中学1年生の私は、学校でよく書く「将来の夢」に困りました。目標の大学に合格すること・好きな会社に入ること、どの世界でも同じだと思いますが、ゴールしたらその次のゴールを目指します。しかし私は女流棋士になった更に先の目標を持っていなかったのです。そもそも女流棋士を目指したのも、一緒に将棋を指していた友達が「周りも入っているから」というふんわりとした理由で奨励会を目指したように、自分は女の子だから強くなったら女流棋士になるものなのだと、実に曖昧な理由で道を決めてしまいました。当時の環境も作用していますが、自分で考えて決断するには余りにも幼く、真っすぐだったのです。

 今までずっと一緒に将棋を指してきた友達は奨励会に入り、私は女流棋士として対局をしました。定期的に友達と会うこともまったくなくなり、私は本当に将棋が好きなのかと疑問を持ち始めます。将棋自体が好きというより、友達と将棋を指すことが好きだったのではないか。この辺りから自分探しの旅が始まりました。何をして生きていくのか、今度は自分で考えて決めようと思ったのです。格好良く書いていますが中学生ですからね。思い出すのも恥ずかしい位、生きることにもがいていました。